「毎度おなじみちり紙交換でございます。ご家庭で……」
 タイミング良く窓の外から、ちり紙交換の声が聞こえた。
「……」
「……」
「カレシだったら彼女がすべったときのフォローぐらいしろって」
 明日香がテーブルを飛び越えて、山田にのしかかってきた。
「ちょっ、うわっ! 吉崎さん!」
 柔らかい明日香の体にどぎまぎしながら、山田も必死の抵抗をする。
 自分の魅力的な肢体に気付いていないのか、明日香が無邪気に山田に纏わりついていく。
 二人で暴れているせいで、テーブルの上のカップがカタカタと音をたてた。
 気を使いながら、山田が明日香の体をなんとか押しのけようとしていると、むにむにした感触に気付いた。目をやると、明日香の胸が山田の手にすっぽりと納まっている。
 知らないうちは、まるで気にならなかったのだが、いったん気づいてしまうとどうしようもない。
 山田の顔が真っ赤に染まる。動きまでぎこちなくなった。
 今まで一緒になって暴れていた恋人が、急におとなしくなったので、明日香も動きを止める。
「なに? どうかした?」
「いや、あの……む、胸が」
 額に汗までかいて山田がようやくのことで口にする。
「……」
「……」
「……むっつり山田。せっかく彼女がスキンシップを取ろうとしてんのに、すぐそうやって」
「こ、これは、その偶然」
 どもる山田を見て、明日香が声をあげて笑った。
「あははは、大丈夫、わかってるって」
 がばりと身を起こすと、向かいのソファには向かわず、固まったままの山田の隣に腰を下ろした。
 あらためて密着されて山田は動くことができない。顔は正面を向いているが、神経は服越しに伝わる明日香の体温に集中している。
「したいこと思いついた」
「な、なに?」
 あいかわらず誰もいないソファを見つめながら山田。
「あのね、昨日の夜、考えたんだけど……私のファーストキスって山田のおちんちんになっちゃうんだよね」
 眉をひそめながら明日香。
「いっ!?」
 山田が思わず横を向いた。が、すぐ近くに明日香の顔があったために、またすぐに首を捻る。
 ばね仕掛けのおもちゃのようになっている山田に気付かずに、明日香が言葉を続ける。
「普通はキスしたあとにセックスするんだから、初キスがおちんちんなんてありえないんだけど、そうなっちゃたからさぁ。そんで、やっぱりたぶん唇に最初に触れたのが初キスの相手になるとおもうの。だから私のファーストキスの相手は山田のおちんちん。そこらへんどう思う?」
 過激な発言にはらはらしていた山田だが、突然の問いに背筋が伸びた。
 からかわれているのかと思ったが、横目で見る明日香の表情は真剣そのものだ。
 はたから聞いていれば冗談のように思えるかもしれない。しかし、明日香は大真面目だった。
 昨日、恋人ができた嬉しさから、こみ上げてくる笑いと共に湯船につかっているときに、ふと今の考えが頭をよぎったのだ。
 ショックから、思わず風呂場で仁王立ちになってしまったほどである。
 想像していたようなファーストキスとは縁遠い事実に、すっかりテンションを下げて、部屋に戻った明日香だった。
 ベッドに入る頃には、気持ちが切り替わって、嬉しさが心の大半を占めていたのだが。
 さて、困ったのは山田である。
「……む、難しいところだとは思うけど、僕の一部だし……」
 自分でもなにを言っているのかわからない。
 質問というかたちだったが、ほとんど独り言だったのだろう。明日香が天を仰いだ。
「そうなっちゃったものは仕方ないから、諦めるとして」
「うん」
「もうファーストキスって言わないかもしれないけど」
「うん」
「ちゃんと、唇にチューして欲しいの。それがしたいこと」
 そう言うと、明日香は真横にいる山田をじっと見つめた。
 事態についていけず、山田はぱくぱくと金魚のように口を動かした。
「初デートはまた今度ってことで。それか、チューしてくれたらまた考える。あ! キスだったらすぐ済むから、このあとどっか行こう。ねっ?」
 明日香は能天気な調子で思いついたままを口にしているように見える。
「えっと……」
 同意を求める明日香を見ることもできず、山田がかしこまったままでいると、
「こっち向く!」
 明日香が山田の頬を両手で挟んで、むりやり自分の方を向かせた。
 掌から伝わってくる、以外に暖かい山田の体温を感じながら、明日香は静かに息を吸った。
 異性とこれほど接近した経験のない山田は、恥ずかしさから顔をそむけようとした。
 けれど、どこか追い詰められたような明日香の表情に、山田は目を逸らすことができない。
 黙って、互いの瞳を見つめあう。
「キスして。……お願い」
 明日香が消え入るような声で呟いた。そして、ゆっくりまぶたを下ろす。
 それが耳に入ると、山田の体からすっと力が抜けた。
 静かに明日香の肩に手を伸ばす。体に触れると、暖かさと共に小さな震えが伝わってきた。
 明るく振舞ってはいたが、緊張していたのだろう。そう思うと、山田の胸は一杯になった。
 事実、明日香は緊張していた。もしかすると山田以上に。
 二人の言葉が途切れるたびに、自分の心臓の音が相手に聞こえるのではないかというほど。
 山田と同じく、異性と二人きり、という状況をほとんど経験したことのなかった明日香ではあるが、知識だけはあるために、様々な想像が渦巻いて、逆にどうすればよいのかわからなくなっていたのだ。
 その動揺を振り払おうとして明るくふるまっていたのだが、ブレーキが壊れてしまっていたらしく、自分の口が、体が、勝手に動いて現在の状況になってしまった。
 体が震え出しそうになるのを必死で堪えている。
 山田の手が触れたときには思わず声がでそうになった。
 明日香のピンクの唇が、艶やかに濡れている。力が入って体が強ばっているせいか、山田を迎え入れるために開かれることなく、その口元は固く結ばれている。
 自分でも全身が緊張しきっているのが明日香にはわかった。


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