「……山田?」
 ぱちくりとまばたきをして、明日香は確かめるようにじっと山田を見上げた。
 山田にとっては地獄のような時間だった。
 自分のしでかしたことがとてつもなく明日香を傷付け、今まで犯した失敗とは比べものにならないものだという事実が腹の底にずっしりと沈みこんだ。
「ご、ごめん……」
 消え入りそうな顔で山田が自分の行為を謝罪する。
「……良かった。もう怒ってないよね?」
 明日香は深く息を吐いた。
「マジ怖かったって今の山田」
 まだ完全には調子を取り戻していないのか、鼻をすする音が聞こえる。
 自分が明日香の手を掴んだままということに気付き、山田が慌てて手を離す。
「本当にごめん。謝って取り返しがつくことじゃないけど……それでもごめん。こんなやつ、振ってくれていいよ」
「なんで?」
「へ? だって……」
「泣くほど怖かったけど、私も調子に乗りすぎたし。それに……あれよ。その、山田がいつもの山田だったら、私山田とするの嫌じゃないし」
 まだ涙で濡れている頬をりんご色に染めて、はじらいを隠しきれない明日香が山田の手に触れた。
「で、でも」
「もういいよ。過ぎたことをいつまでもうだうだ言わないの」
「うん」
 自分を励ましてくれる明日香に、心の底から感謝しながら山田は明日香の手を握り返した。
「じゃさ、山田んちのお風呂ってどこ?」
「ここの奥だけど、もしかして……今から」
 ドアの一つを指差しながら、山田が明日香に尋ねた。
「当たり前じゃない。嫌じゃないって言っちゃったし、勢いでいっとかないと緊張しちゃいそーだし」
「で、でもまだ明るいし」
「時間なんて関係ないの。山田は私としたくないの」
「……したいけど」
「私もしたいの。山田とセックス」
 そのものズバリと言われて、山田がおどおど周囲を見まわした。当然、いつもと変わり映えのしないリビングルームがそこにはあった。なにをしでかすかわからない自分の恋人がいることを除いては。
「そしたらさ……シャワー浴びてくるから待ってて」
 ドアの奥へ消えた明日香を見送り、山田はソファに腰を下ろした。
 自分の家にいるはずなのに、ひどく落ち着かない。これから自分がセックスをするのだと思うと、掌にじわりと汗がにじむ。
 やっぱり、僕の部屋のベッドでするんだよね?
 だ、だったら部屋を片付けといたほうがいいかな。
 でも、あがってきたときに僕がいなかったら困るよな。
 それより……ちゃんとできるかな。
 結局、山田は微動だにせず、悲壮感すら漂わせながらソファに座ったままでいた。
 人生の一大事を前にして、若者らしい悩みが山田を襲っていた頃、明日香もまた胸の高鳴りを抑えきれないでいた。
 一枚、一枚ゆっくりと丁寧に、制服を脱いでいく。下着に手をかけるときには、一瞬手が止まったものの、再び動き出したときにはあっという間に、明日香は生まれたままの姿になっていた。
 脱衣所に据えつけられている姿見で自分の体をあらためて見る。
 大きく、形の良い胸が息をするたびに上下する。
 自分の体の中で三本の指に入るお気に入りの丸いラインをゆっくりとなぞり、両手で寄せた。
 魅惑的な谷間に満足しながら、今度はお尻を突き出してみる。
 これまた形の良い緩やかなカーブを描いている。
「よし!」
 自分の体に満足したのか、明日香は風呂場のドアに手をかけた。
 そこで小さく声をあげ、再び姿見の方を向く。
 両手をまっすぐ上に伸ばすと、両わきを入念にチェックする。
「よし!」

 初めて来た家で、いきなりシャワーを使っている自分をおかしく思いながら、暖かい湯で、泡まみれの体を入念に洗い流していく。
 股間を他の部分よりも少し念入りに洗ったことは山田には絶対に秘密にしておこう。
 わけのわからない決心を固める明日香の体から、名残惜しそうに張りついていた最後の泡が流れ落ちた。
 排水溝をぼんやりと見つめながら、明日香は考えた。
 とりあえず、体は洗ったけど……どうしよう。
 山田もやっぱシャワー浴びるよね。
 そのあいだ、ずっと一人で待ってるのは緊張しそうでやだし、山田呼ぼっかな。
 そのほうが楽しいよね、山田も今ヒマだろうし。
 それにまた、困った顔見れるかもしんないし。
 あれいいんだよね。なんか意地悪したくなっちゃって。
 うわー。私、小学生みたい。
 とりあえず……。
 極上の閃きが、自分の不安を押し隠すための行動とは気付かないまま、明日香は風呂場のドアに手をかけた。
 眉間に皺を寄せて、様々なシミュレーションしていた山田の耳に、明日香の声が届いた。
 どうも自分を呼んでいるらしい。あたふたとリビングを離れると、脱衣所に入る。
 曇りガラスのドアを隔てて聞こえてくる水音が、嫌でも山田の興奮を煽る。
「ねぇ」
「なに」
 突然かけられた声に、なんとか動揺を隠した返事を返す山田。
「一緒にお風呂にはいろうよ」
「なっ、え!?」
 が、あっさりと上辺だけの平静は破られてしまう。
「な、なにを、いいよそんなこと……」
 さらに言い募ろうとした山田をさえぎって、理性の壁とも言えるドアが軽い音をたてながら隙間をつくった。
 そこから明日香が顔だけを覗かせる。
 濡れた首筋がかすかに山田の目に入った。
「どーせこれから見るんだしいいじゃん」
 湯気が脱衣所に流れ込んできた。
 慌てて山田は視線を下げる。しかし、そこには明日香が着ていた服がたたんで置かれていた。ご丁寧にショーツが一番上に乗っかっている。
 あたふたと視線をさまよわせ、結局自分が入ってきた扉にあわせた。それでもまだおちつかないのか、そわそわした様子でいる。
「そそそ、そうかもしれないけど」
「山田もシャワー浴びるでしょ? 私だって一人で待ってるとか寂しいしさ」
 山田はもはやぱくぱくと口を動かすことしかできない。
 そのうちに焦れた明日香が山田の手に触れた。びくりと体を震わせるが、山田にはそれ以上のことはできない。
「待ってるから、早く入ってきてね」
 伏し目がちにそう言うと、明日香はドアを閉めた。再び、理性の壁が二人の間に挟まれた。


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