飛ぶように時間は過ぎ、咲が秘中屋にきてから三月が過ぎようとしていた。
 そんなある日の夜。
 いつものように夕食の片づけをしていると、喜兵衛の声が聞こえた。珍しく慌てているようだ。
「もうしわけありません! こんなことになってしまいまして。どうしても今週中に欲しいとのことでして」
「ああもう、あの人にも困ったものだ。相変わらずのわがままぶり。しかし、昔からの上得意だけになんとかしないとな」
「とはいえ、なんとかなりましょうか? 穀蔵院様に生半可なものをお渡しすればお怒りを買うだけです」
「大丈夫だとは思う」
「ここから京都に届けるのに少なくとも二日、いや三日はかかりますから、今日中になんとかしませんと」
「うん、まあ、あとは仕上げだけだから色事通の穀蔵院さんも……しまった!」
「いかがなされました」
「試してもらう人がいない!」
「あっ!」
 騒ぎを聞きつけて、なにごとかと咲が洗い物をやめて二人のもとへ顔を出した。
「どうかなさいましたか?」
 すると、ちょうど喜兵衛と目が合った。
「そうだ! 咲がいます」
 喜兵衛が事態のわかっていない咲の腕をひっぱり、勘九郎の前に立たせた。
 勘九郎はちらりと咲をみたものの、かぶりをふった。
「だめだよ。咲は男を知らない」
「それでは……そうだ。悪丸のところに急いで連絡を」
「いかに悪丸さんといえどもこんな時間に、すぐにこちらの条件にあう人は用意できないだろう」
 進退窮まった様子の男二人に、咲がおそるおそる声をかけた。
「あのぅ……私にできることならやらせていただきますが」
「その気持ちだけで十分だよ咲。あとはなんとかするから咲はもう休みなさい」
 しかし二人を見ていると、とてもなんとかできるようには見えない。
 咲は意を決してもう一度口を開いた。
「勘九郎さま。私が男を知らないのがだめなのなら、私を抱いてください。売られたときにどんな目にあっても耐えると覚悟を決めていたのに、こんなにも良くしていただいて……そのご恩が返せるのなら私の心配はいりません」
「いや……しかし咲」
「それに、こんなことを言うのは身分違いかもしれませんが……そのお優しい、誠実な人柄に咲は、咲は」
 耳まで桜色に染めての咲の告白に勘九郎は驚き、動揺を隠せない。
「そんな! まだ出会ってそれほど経ってもいないというのに……」
「時間は関係ありません!」
 いざとなると女は強い。
 唇をきゅっと結んで、潤んだ瞳で勘九郎をひたと見据えた。
 勘九郎は助けを求めようと、目で喜兵衛に語りかけたが、忠実な秘書は窮地に陥った主人を助けようとはしない。
 うすうす咲の想いに気づいていたらしい喜兵衛は、どうやら仕事仲間の味方らしかった。
 勘九郎とて不幸な境遇にもかかわらず、健気に生きる咲を嫌いではない。どちらかというと好意をもっている。しかし、それはまだ男女の仲のものではない……はずである。
 その確認のためにも、せめてもう少し時間が欲しかった。
「そ、そうだ! 口で、口で確かめてくれればいい。だ……だからと、とりあえず今は男を知らなくてもいい。なっ、だから帯に手をかけるのをやめてくれ」
 いつかのように帯を解きかけた咲を止めるために、勘九郎はなんとかこの場を逃れようと、とっさの思い付きを言った。
「わかりました」
 輝くような笑顔で返事をする咲。主人の、想い人の役にたてるのが嬉しくてしょうがないらしい。
 一方、勘九郎は精根尽き果てた顔になっている。
「……それでは半時後に僕の仕事部屋にきてくれ」
 はいっ。緊張した面持ちで返事をした咲は、洗い物の残りを片付けるため、急いで台所へ戻っていった。
「それでは私はいろいろと処理しないといけないことがありますので」
 喜兵衛も部屋を去り、一人残された勘九郎は大きく息をついた。
 きっかり半刻後。勘九郎が仕事場にいると、部屋の前で声が聞こえた。
「旦那さま。咲でございます」
 心なしか、声が震えているように聞こえるのは気のせいだろうか。
 勘九郎が入ってくださいと言うと、静かにドアが開けられた。
 もう何度もこの部屋に来ている咲だったが、それでもこの淫具だらけの部屋に慣れることはない。
 できるだけ周りを見ないようにしながら、勘九郎のもとへやってくる。
「……旦那さま。私はなにを」
「これを試して欲しい」
 勘九郎は傍らにあった桐の箱を取り出すと、蓋を開けた。
 中にはちょうど大中小と三本の張り型がご丁寧に敷かれた綿の上に鎮座ましましていた。
 とっさに目を伏せる咲。
 その様子に苦笑しながら、勘九郎が口を開く。
「これを咥えて、舐めたり口でしごいたりしてもらう。そしてその際になにか違和感や、異物感があれば教えて欲しい。まぁ、これは久しぶりに、満足のいくできだからそんなことはないとは思うけれど」
 そこで、いったん勘九郎は話すのをやめた。
 そして咲に顔をあげるように言う。
「そのために、基準というか、男のものとはこんなものだというのを知ってもらうために僕のものを口でしてもらう。いやなら言ってくれればいい。今なら断ってくれてもかまわないから」
 主人の鬼気迫るような視線を真っ向から受け止め、小さく息をはくと、咲は言った。
「やらせていただきます」
 そこでようやく覚悟を決めたのか、勘九郎はすっくと立ち上がると、自らの帯を解き始めた。
 続けてふんどしも解いてしまう。
「それじゃあしてもらおうか」
 だらりと垂れ下がっている勘九郎のものから、目を背けたいのを必死で我慢しながら咲は秘中屋に来る前に受けた教育を思い出していた。
 口を使って男を悦ばせる方法を、である。
「そ……それでは失礼い、いたします」


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