ヌードになって五分後。香織は自分の愚かさを呪っていた。自分の八つ当たりが原因で全裸になることになるとは。
 いや、それよりも一番の問題点は、服を着ていたときよりも視線に対して敏感になってしまっていることだった。
 いまや見られている部分だけでなく、視線の届かないはずの背中側までが熱っぽい。体の心からじんわりと暖かくなるような、奇妙な心地だった。
 この千載一遇のチャンスを逃すまいと、吉村は一心不乱に手を動かし続けていたが、ふと自分の絵と本物の香織の間になにか奇妙さを感じた。
 どこか違和感がある。手を止めてじっと絵を見つめ、それから香織の裸身を見つめる。体のラインを追い、そこから細部に入っていくと視線が一点でとまった。
 胸が違うのである。正確には乳首と乳輪。わずかに膨らんだ桜色の部分とその先端。違和感の原因はその先端が立ち上がりつつあることだった。
 吉村は息を飲んだ。
 もしかして……北条さん感じてる?
 視線に興奮してしまうモデルがいるという話は聞いたことがあるけど、まさか北条さんが?
 吉村は自分の考えを即座に否定した。自身の欲望がそう見せているのだと思ったのだ。
 だが、その考えはさらに否定された。
 香織の足の付け根、つまり秘部から太ももへ、とろりと一筋の液体が流れ落ちたのだ。
 香織自身は気づいていないようで、どこかうっとりとした表情のまま動かない。
「……北条さん」
 おそるおそる手を伸ばしていく吉村。
 指先が触れた瞬間。香織は崩れるように吉村にもたれかかってきた。
 耳元に感じる、荒い吐息に吉村はうろたえてしまう。
「北条さん!?」
「よ……吉村ぁ……体が変なんだ」
「ちょっ、大丈夫」
 引き剥がそうとする吉村に抵抗しているのか、香織はなかば吉村にすがりつくような姿になっていた。
「なぁ、あたしってそんなに、女としての魅力ってやつがないのか」
 脈絡のない問いに吉村は答えることができない。ただ口をぱくぱくさせるだけだ。
「やっぱり……男はもっと胸も大きくて、可愛げのある女の子のほうがいいよな。こんなに筋肉ばっかりでさ、やわらかくもなくて」
「ぼ、僕の感じだと、え……と、北条さんもやわらかいと……」
「だったら、だったら、私がお前のこと好きだって言ったらどうする……」
 間近でみる香織の目はとても冗談を言っているようには見えない。いつもの凛とした雰囲気はまるでなくて、いつかの道場で見たときのように壊れる寸前のガラス細工のように見えた。
「急にこんなこと言って迷惑かもしれないけど、自分でも驚いてるんだ。あたしが、吉村を好きかもしれないっていうことに、あたしも今気づいたんだから。この前の夜に親身になってくれたり、モデルになってくれって言われたりしてすごく嬉しくて、あたし単純だから……それからなんだか吉村のことが気になって」
 卵から孵ったばかりのひよこは初めて見たものを親だと思うことがあるというが、香織の場合もそれに近いのかもしれない。
 とはいえ、きっかけが初めてまともに女あつかいされたというようなものでも、いや、だからこそ、一週間一人の男のことだけを考え続けていれば、本物の想いだといってもいいだろう。
 片思いしている女の子から逆に告白され、吉村の頭はおかしくなる寸前だった。好きな女の子と自分の部屋で二人きり、女の子は全裸、しかも告白のおまけつき。
 吉村はただ目を見開いて驚くことしかできずにいる。脳みそは考えることを放棄してしまったようだ。
「ごめん。なんか急に変なこといわれても困るよな。今の忘れてくれていいから……もう帰るよ。今日は本当にありがと」
 脱ぎ捨てた自分の服をのそのそと香織が拾う。
 香織に背を向けられて、吉村からは香織の様子を窺うことはできない。
 しかし、香織の顔からなにかが零れ落ち、手にしている下着に小さなしみをつくったのが見えたような気がした。
 それと同時に香織の肩が震えているのに気づいた。こちらは気のせいではない。
 北条さんもしかして……泣いてるのか?
 吉村は珍しく強引に、香織の肩をつかみ振り向かせた。
 香織の目は潤みきっていて、唇をかみ締めてひっしにこぼれるのを我慢していた。
「……みっともないとこ見せてごめん、うっとおしいだろ? あはは……」
 震える声で途切れ途切れに言いながら、無理やり笑おうとしている香織を吉村は思い切り抱きしめた。
「違う! 違うんだ! 僕が何もいえなかったのは、嬉しすぎてびっくりしたせいで、絶対に北条さんのことが嫌いとかじゃない!」
「いいよ、そんな嘘つかれると……みじめだからさ」
 香織が弱々しく吉村の腕を振りほどこうとした。しかし、吉村は腕を背中にまわし、より強く香織を抱きしめる。
「北条さんずっと前から好きでした!」
 突然、吉村が絶叫した。
「初めて会ったときからずっと好きでした! モデルを頼んだのも好きな人を描きたかったからです!」
 今度は香織が驚く番だった。
「うそだ……」
「うそじゃない! 僕のほうが好きだった時間は長い!」
 わけのわからない自慢をする吉村。
「でもあたしなんかにそんなことあるわけない……」
 自分の魅力にまるで気づいていないせいで、香織は現実を受け入れきれないでいる。
 業を煮やした吉村が覚悟を決めた。
 香織に有無を言わせずに、唇を奪ったのだ。
 香織の目が大きく見開かれ、それからゆっくりと閉じられる。
 しばらくの間、二人はくっついたままぴくりとも動かなかった。
 そして、始まりとは逆に、名残を惜しむように二人の唇が離れていく。
「……っはぁ。え……と、だったら、どうなるんだ?」
 想い人の間抜けな言葉に吉村は苦笑する。だが、すぐにそれは満面の笑みに変わった。
「信じられないけど、僕たちは両想いってことだよ」
「ほんとに?」
「うん」
 力強く吉村がうなづくと、香織が吉村に飛びついた。
 吉村は支えきれずに、そのままよろよろと背後のベッドに倒れこんでしまう。
「ちょっ、北条さん。その……裸のままだと刺激が強すぎて、状況が状況だし、僕だって男だし」
「なぁ、吉村?」
 顔のすぐ横で香織にささやかれて、吉村はどぎまぎした。近すぎて今の香織がどんな表情をしているのか、まるで見えない。
「な、なに」
「あたしとしたい?」


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