二人で流しの前に並びながら後片付けをしていると、喜多がふと手を止めた。
「あ、あのさ」
「ん、なに?」
「……やっぱいい」
 喜多は再び手を動かし始めた。
 彼女が食器を洗って、僕が拭く。
 二枚皿を拭いたところで、今度は僕が口を開いた。
「さっき言いかけたのなに?」
「えっ、あ、あれは、もういいから、よ」
 僕の質問に、喜多は急にうろたえて、手元がおぼつかなくなる。
 これはなにかある。僕でなくともそう思うだろう。
「いや、気になるから教えてくれ」
「なんでもねぇから」
「よくないから教えてくれよ」
 わかったよ。と、根負けした喜多は伏し目がちにこちらを見た。
「……あ、あのな。その、よかったら、もしよかったらだぞ」
「うん」
「あたしが、これからメシ作りに来てやろうか、って言おうとしたんだ……」
 消えそうに小さな声で呟いた喜多は、手にしたスポンジで鍋の同じところばかりをこすっている。
「ほんとに? それ嬉しいな。毎日喜多さんの手料理が食べられるんだろ。それ大歓迎!」
「ま、マジか!? あ、あたし毎日桐野んとこ来てもいいのか?」
 喜多がぐっと身を乗り出した。
「あ、でもそれだと家の人が迷惑するな」
「あんな奴らどうでもいいっ! 桐野のほうが……!」
「じゃあ、これどう? 僕が喜多さんの家に行くっての」
 自分で言ってから、試しに創造してみる。
 筋肉モリモリのラガーマンと自衛官、柔道家、体操選手に囲まれて茶碗を持つ僕。
 ご飯がのどを通るだろうか。
 結論、却下。
 僕は素早くシミュレートを終えた。
 喜多はというと、僕の提案をあまり歓迎していないようだ。
「あ、やっぱ家はダメか」
「いや、そうじゃねぇけど……」
「けど?」
「あたしのウチだと、その、な、桐野と二人きりになれねぇから……」
「喜多さん。今すぐ鍋を置いて、手を洗って」
 突然、厳しい口調で言い放った僕をいぶかしみながらも、喜多が言われたとおりにする。
「これでいいか?」
「……喜多さんっ!」
「えっ!? ちょ、ちょっ、とっ! 桐野っ!?」
 僕は問答無用で喜多を押し倒し、猿になった。

「おい! にやにやすんな、気持ち悪いだろうが」
 ぱしんと頭をはたかれた。
 先週のことを思い出していたら、つい顔にでてしまったらしい。
「なにが運命だっつーの。キモイこと言うな」
 それを信じた女の子もいるんですが。
「だから、僕と喜多は運命の出会いだから、別に落とし方なんかない」
 僕は何気ないフリをしてこちらの様子を窺っている喜多に、ぱちりとウィンクをした。
 椅子でゆらゆらと船をこいでいた彼女が体勢を崩す。
「けっ! オマエはそうやって狭い心で幸せ独り占めにしてるがいいさ、バカくせぇ」
 結局、広尾はあきれ果てて自分の席に戻っていった。
 どうせ一時間目が終われば、また同じようなことを言いにくるだろうが。
「今日も元気かー。絶好の勉学日和だな」
 先生が相変わらずのでかい声とともに教室にやって来た。
 教壇に立ち、教室を見回す。
「おっ、喜多。最近は遅刻もせんと真面目にやっとるようだな」
 声をかけられても、じろりとにらみ返すだけで、喜多は返事をしない。
 先生のほうも友好的な対応は期待していなかったらしく、いつものようにホームルームを始めだした。
 僕だけが、彼女が遅刻しない理由を知っている。
 僕と一緒に登校するためだとは、先生は夢にも思うまい。
 ……危ない。また頬が緩むところだった。
僕がそんなことを考えている間に、どうでもいいホームルームが終わる。
 そのまま一時間、二時間目と午前が過ぎていく。
 キーんコーンカーンコーン、キーンコーンカーンコーン。高らかにチャイムが鳴って昼休みの始まりを知らせた。
 いっせいに教室がざわめきだす。
 財布を持って購買部に行く者がいれば、机を動かして友達と弁当を広げる者もいる。
 もちろん、僕も昼食をとる。
 しかし、僕のカバンには弁当は入っていない。かといって購買部にも行かない。
「おい、桐野。ちょっとこいよ」
 椅子に座ったまま見上げると目の前には喜多がいる。手にはカバンを持っている。
 これも今週に入ってから毎日あるイベントだ。
 僕を見る周囲の目は、
「またか、桐野も可愛そうに」
 と雄弁に語っている。
 喜多に連れ出される僕に同情こそあれ、まさか二人が付き合っているなんてことを考えているやつはいない。
 ボコボコにするためではなく、二人で仲良く弁当を食べるために僕を呼びにきている。とはそれこそ夢にも思っていないだろう。
 そう。喜多は僕のために弁当を作ってくれているのだ。
 先週末に僕の家に泊まったときに、いろいろあってそういうことになった。
 僕ははにかむ喜多の顔を見ながら、今日の弁当について思いをめぐらせた。

 金曜日の朝。
 いつものような段取りで喜多が土手で僕を待っていた。
 学校に向かう道すがら、彼女は言った。
「お、お前はさ。普段はあたしのことを名前で呼んだりしないのか? いや! 別にあたしが呼んで欲しいとかそういうわけじゃねえから勘違いすんなよ」
 まったく。
 やれやれだ。

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