「おいコラ! 待てや喜多!」
 誰だこの男は?
 見るからにヤンキーといった風だが。
「この前はよくもやってくれたな。おお!? 油断さえしなきゃ、俺がてめえみたいな女にやられるわけねんだよ。ぼこにしてやる!」
 ゲーッ! 先週ボロ雑巾にされたヤンキーの超人!
 形容しがたいセリフのおかげで僕はこの男のことを思い出した。
 元気になって仕返しに来たというところだろう。所々に残っている痣が痛々しい。
 周囲の学生やサラリーマンが、係わり合いになりたくないという顔で足早になった。だが、中にはちらちらとこちらの様子を窺ってくる野次馬根性の旺盛なのもいる。
 僕の手を握っていた喜多の手に力が入った。
「あぁん! お前見たいなバカの相手してる暇はねぇんだよボケっ! また玉潰すぞ!」
 露骨な言葉に、周りにいた学生やサラリーマンが失笑を堪えた。
 男はそれに気づいたのか、ぷるぷると肩を震わせて、怒りで顔色を変えた。
「殺す!」
 血走った目をして、男がのしのしと近づいてくる。
 喜多が戦闘体制に入ろうとした。
 が、そこでふと気づいたらしい。男と罵り合っている間も、ずっと僕と手を繋いでいたことを。
 さすがに手を繋いだままで喧嘩はできない。
 彼女は小さくうなりながら、じっと繋がれている手を見ていたが、やがてあきらめたらしい。
「ちくしょうっ!」
 小声でつぶやくと、名残惜しそうに僕の手を離した。
 喜多が迷っている間に、男はもうすぐそこまで近づいている。
 しかし、喜多はあわてずに、手にしたカバンを男に向かって放り投げた。
 至近距離だったので、男はよけられずに、払いのけることしかできない。
 その隙を狙って、喜多が先日のように、股間に向かって教科書に載せたいぐらいのヤクザキックを放った。
 だが、見事に命中したかと思われたそれは男のひざによって防がれていた。
「せっかく再起不能にしてやろうと思ったのによ」
「てめえのことだからどうせここを狙ってくると思ってたぜクソアマ。ここさえやられなきゃ女のてめえが勝てるわけねえもんなあ」
 男はすばやく喜多の足を掴むと、にやにやとしまりなく笑った。勝利を確信したのだろう。
 確かにいくら喧嘩が上手かろうが、捕まえられてしまえば力の差はいかんともしがたい。
 それまで傍観者だった僕も、さすがにまずいと思い、二人の方へ駆け出した。
 喧嘩なんてろくにしたこともないが、不意打ちを食らわせて喜多と二人でかかればなんとかなるだろう。
 なればいいなあ。
 くそっ!
 僕が馴れない喧嘩のために覚悟を決めていると、男が拳を振り上げた。
 あっ。と思う間もなく振り下ろされたそれは、喜多の顔面に命中する。
「っつ……!」
「痛かったら痛いって言えよ。俺の気持ちがすっきりするからな。泣きたくなったら泣いていいぜ。許さねえけどな。ひひひ。あれ、お前の男か? お前をぼこぼこにしたら次はあいつもついでに殺ってやる。」
 男は聞く者を不快にする調子でしゃべりながら、喜多の頬をもう一発張った。
「テメエ……!」
 喜多が低い声でつぶやいた。唇の端からは血が流れている。
 ぶっ殺してやる!
 怒りと殺意が激しく湧き上がった。
 僕はジェダイにはなれない。フォースの暗黒面に捉えられてしまった。これからはダース・桐野を名乗ろう。
 女に手をあげられて落ち着いていられるか!
 ぶっ殺してやる!
 あのむかつく男の顔面に照準をセットし、拳を叩き込む。後先なんて考えていられない。
 と、そこで喜多が大きく状態をそらした。
「死ね! このボケっ!」
 足を掴まれてるのにたいしたもんだと感心する間もなく、伸びきったばねが縮むように勢いよく頭が振られた。金髪がスローモーションのように尾を引いた。
「ぐぇっ、がこ」
 蛙のような悲鳴をあげて、男が鼻を押さえた。指の隙間からぼたぼたと勢いよく鼻血が零れ落ちる。
 なんと見事な頭突き。
 喜多がよたよたと後ずさる男との距離をずんずん詰める。
「根性だせやコラァ! 痛かったら痛いって言え! 言っても許さねぇぞボケっ! 桐野は関係ねぇだろがぁ! 桐野はぁ! おーっ!?」
 ハスキーな声が喜多の口から飛び出した。決してドスがきいた声というわけではない。……さすがに今のは自分をごまかすにしても白々しすぎたか。
 ここは素直に賞賛しよう。さすがヤンキーだ。
 嫌々をするように、男が手を突き出して喜多を拒もうとするが、そんなもので止まるわけがない。
「勘違いすんなよ。あたしがてめえのフニャチン狙うのは、お前みたいな馬鹿の相手に時間かけたくないからだ……よっ!」
 今度のヤクザキックは見事に命中した。もちろん哀れな男の股間に。
 口をパクパクさせて、今度は股間を押さえる男。鼻だったり玉だったり、忙しいことだ。
 しかし喜多の怒りはまだ収まらない。
 腰砕けになって股を押さえている男の股間にさらなる一撃を加える。手で覆われていようがお構いなしである。
 僕は同じ男として絶対にあれは食らいたくないと思ったが、同情はしなかった。当然の報いだ。
「へぎょっ!」
 ぐるりと男が白目を剥いて崩れ落ちた。再起不能だ。
 これで終わりだと野次馬達は思ったに違いない。
 しかし、僕は知っている。まだおまけがあるであろうことを。喜多はサービス精神が満点なのだ。きっとスマイルも0円なぐらいに。
「気絶したフリなんかで騙せると思ってんのかぁ!? この腐れヘニャチンが!」
 いいえ、喜多さん。彼は完全に意識を失っていますよ。そのへんで勘弁してあげたらどうですか。
 僕の勇気ある心の声は彼女には聞こえなかった。残念ながら僕はエスパーではないらしい。
 僕に超能力がないことが判明した間にも、喜多は男を蹴りまわしている。
「なにあたしの顔殴ってくれてんだよっ。痣ができたら桐野に見せらんねぇだろ!」
 なかなか可愛いことを言ってくれるのだが、おまけで血しぶきがついてくるのがやりきれない。こんなハッピーセットは遠慮したい。
「このぼけっ。あたしの幸せな時間を何度も邪魔しやがって。なんか恨みでもあんのか!」
 あるから喧嘩を売ってくるんだろう。
「ちくしょうっ! やっと、やっと手、手を繋げたのにっ!」
 思わず本音が出てしまったらしい。
 慌てて口を押さえると、喜多は僕の様子を伺った。
 心やさしい僕は、もちろん、にっこり笑って聞こえないふりをしてあげた。
 それに安心したのか、彼女は最後に男の頭を思い切り踏みつけると、これで勘弁してやると言い放ち、僕のほうに戻ってきた。
 男の鼻は変な風に曲がっていた。さぞ治療費が高くつくことだろう。
 前回も思ったのだが、血のついた靴で僕の方に向かってこないで欲しい。すごく怖い。
「……前も言ったかもしれないけど、いつもこんなことしてるわけじゃないからな」
 ひどく説得力に欠ける言葉だ。
 ま、それはいい。
「わかってる。それよりも喜多さん」
「なんだよ?」
 まだ喧嘩の興奮が冷めやらないのか、上気した顔ではぁはぁ言っている。なんだか妙な気分になりそうだ。
 ま、僕の変態的な性欲は差し引いて考えたとしても、喧嘩を終えたばかりの喜多はいきいきして見えた。
 綺麗だ。正直にそう思う。


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