さすがにうんざりしてきた。僕は肩をすくめ、彼女をせかした。
「だから一生だって。それより早く教えてくれよ。僕を好きになったきっかけ」
 そう言うと、喜多がなぜか憮然とした顔をした。
「……おまえはそういうヤツだよ。人の乙女心を弄びやがって」
「乙女心?」
 そのまま繰り返すと、喜多はなぜか赤面し、枕を投げつけてきた。
「このボケっ」
 喜多は再びタオルケットに包まると、僕を睨みつけ、
「夏休みによ、あたしが助けてもらってからだよ」
 どこかふてくされたようにそう言った。
 助けた? 僕が? 喜多を?
 まるで記憶に無い。
「それっていつ頃のはなし?」
「だいたいお盆が終わったぐらい。ほら、あの駅前の公園であたしが追いかけられてたときに、助けてくれただろ」
 ……。
 はっきり言って思い出せない。
 僕が頭をひねっていると、喜多があせったように言葉を続けた。
「あの、夜に、あたしが走って逃げてて、公園のトイレに隠れようとしたとき、お前が近くにいて」
 まだ思い出せない。
「あたしがトイレに隠れて様子を窺ってたら、あたしを追いかけてきた三人組にあたしを見なかったかって聞かれて……」
 ……!
 あった!
 確かにそんなことがあった。夜中に僕がコンビニに行った帰り、近道をするために公園の中を歩いていたときのことだ。
 前のほうから必死で誰かが走ってくるのに気づいた。
 こんな夜中に元気なヤツだ。と思ってみていると、ぐんぐんこちらに近づいてくる。
 すぐに僕の目の前まできたのだが、なんだかそいつの顔に見覚えがある。
 深夜のマラソンランナーはクラスメートの喜多だったのだ。
 一回りはサイズが大きいであろうだぼだぼのジャージ――それも真っ赤で目立つやつ――を着て、荒い息をついている。
 今思い返してみると、なんだか汚れていたり、顔に痣があったような気がしないでもない。なにぶん薄暗かったのだから、気づかなかったとしても、そのときの僕を責められないだろう。
 声をかけるべきか迷っていると、彼女は僕が目に入っていないのか、辺りをきょろきょろ見回すと、近くにあったトイレに飛び込んだ。
 そんなにトイレに行きたかったのか、確かに必死の形相だった。と、間抜けな勘違いをしていると、また向こうのほうから誰かが走ってくる。今度は三人の男だった。
 そいつらは僕の前で立ち止まると、高圧的な口調で僕に尋ねてきたのだ。
「おい、コラ。赤いジャージ着た女知らねーか。隠したりすんじゃねえぞ」
 僕が黙っていると、男の一人が僕を睨みつけた。
「テメェ隠すなよ!?」
 見知らぬ人にこんな風に質問されて、相手に好感を抱く人は少ないだろう。いたらそいつは体の芯までマゾだ。
 当然僕は気分を害した。
 まあ、クラスメートを助けてやろうという気持ちも多少はあった。
「赤ジャージの女の子だったら駅前のほうに」
 そう言って、僕は適当に自分が歩いてきたほうを指差したのだ。
 感謝の言葉もなく走り去った三人組の後姿を見送っていると、トイレから喜多が姿を現した。
 なんだか僕のほうを見つめている気がしたので、ばいばい。と手を振って僕は家路についた。

 確かに僕は喜多を助けていた……らしい。そんなにたいしたことでもなかったので、すっかり忘れていた。
「ああ、そんなのあったね」
「そっ、そんなのあったねって……オマエ……!」
 なににそんなにショックを受けているのか知らないが、喜多が口をパクパクさせて僕を指差した。
「どうかした?」
「あ、あたしはう……」
 どんどん声から力が抜けていって最後のほうはなにを言いたいのかさっぱりわからない。
 うつろな顔でぶつぶつ呟いている。これはかなり重症のようだ。僕が意図せず放った一撃は彼女に随分とダメージを与えたらしい。
「え? なんて」
 僕は喜多の口元に耳を寄せた。
「あたしは……う、運命の、運命の出会いだと思ったのに……」
 これまた時代錯誤と言おうか、大仰と言おうか、嘘・大げさ・紛らわしい出会いは公共出会い機構へと言おうか。
「よくある勘違いということで話を丸く……」
「あっ、あたしはほんとに運命だと思ったのにっ! 夢にだってみたんだ!」
 だめだ、僕の声なんか届かない。助けて仁鶴師匠! 四角い仁鶴がまーるくおさめて!
「それなのに――そんなのあったねって、そんなので納得できるわけねぇだろ! 桐野なんか、桐野なんか……!」
 ぐっ、と硬く握り締めたこぶしを悔しそうに見つめている。
 いまさらよく覚えていると言ったところで、信じてもらえないだろうし、事実僕はすっかり忘れていた。
 確かに喜多の気持ちはよくわかる。自分は運命だと思っていたのに、全部一人で踊っていただけなんてひどすぎる。
 かと言って、ここで僕があやまるというのもなんだかおかしい気がする。第一、ごめん、僕は運命だとは思わなかったんだ。なんて言おうものなら、僕の顔面は陥没するだろう。
 ステゴロなら喜多だな。との噂を聞いたこともある彼女をブチギレさせるなんて想像もしたくない。
 ここは様子を見るべきだ。
 僕は解決役を時間に任せることにした。彼もしくは彼女は往々にして事態をひどくするだけだが、奇跡的に今回は違ったようだ。
「桐野なんて」
 ごくりと僕の喉が鳴った。
「ちくしょう――いまさら嫌いになれるかよ」
 僕は彼女に飛びついた。
「おい、ちょっ」
 あせる喜多を無視して思い切り抱きしめる。
 心底悔しそうに言った今の言葉に僕の体が勝手に動いてしまった。
 僕の行動にうろたえ、じたばたともがいて僕の腕の中から出ようとする喜多を、それでもなお、ぎゅっと抱擁する。
「本当に悪かった。喜多さんがそんなにあのことを大事に思ってたなんて知らなかったから」
「いいよ、いまさら。あたしが間抜けだっただけなんだからな」
「いや、僕の気がすまない」
「すまないっつったって」
「よし、わかった。そしたらお詫びに喜多さんの願いを三つ聞こう」
「お願い? あっ、あたしの言うことをなんでもか!?」
「三つまでなら。僕にできる範囲でだけど」
 ぴんと立てた三本の指を、喜多が食い入るように見つめる。
「別にないんなら別のことにするけど」
 立てた指をおろそうとすると、彼女はあわててそれを掴んだ。
「あっ、ある! あるからおろすな!」
「じゃあ願いを言ってよ」
「ちょっと待てよ……」
 額に手をやりながら、喜多がもう片方の手で僕を押しとどめる。
 真剣な表情で頭をひねっている彼女を見ていると、僕の心にむくむくと苛めたい心が湧き上がる。
「えー、カウントダウンを開始」
「え!?」
 あせる喜多を尻目に、僕は冷静に数字を数えていく。
「……3、2」
「え、おい!? ま、待てっ、いま言う!」
「1。しゅーりょー!」


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