僕は映画館の前で呆然としていた。手には出るときに買ったパンフレットを持っている。
 期待はずれなんてとんでもない、僕の期待の遥か上をいく素晴らしい映画だった。
 原作どおりというわけではないのに、それを気にさせないストーリー。
 それどころか、この映画はこうでなくてはとすら思わせる。
 すべてのセリフが心に残っている。
 有名な俳優なんて誰一人出ていなかったが、すべての登場人物が、スクリーンの中で本物の人生を生きていた。
 思い返すだけで目頭に涙がにじむ。
 映画でここまで感動したのは初めてだ。
 隣の喜多も、ついさっきまで泣いていたせいか、まだ鼻がなんとなく赤い。
「ぐすっ、う……、あたしこんなに胸にグッときたの初めてかもしれねぇ」
 目じりの涙を荒っぽくぬぐう喜多。
「喜多さんがこっちを選んでくれてよかった」
「あたしこれからはアクション以外も観ることにする」
 二人ともまだ映画の世界にいるみたいだ。もう少し余韻を味わっていたい。
「あれぇー? これはこれは喜多さんじゃないですかあー」
 僕たちが感動に浸っていると、うっとおしく語尾を延ばした声で水を差された。
 腹を立てながら声の主を観ると、声と同じく、うっとおしそうな長い茶髪の男が立っている。たちの悪そうなチンピラだ。左耳と鼻にピアスをつけていて、それを細いチェーンで繋いでいる。
 横には同じくチンピラがいた。こちらは茶色の坊主頭である。似合わないサングラスをかけている。
 どうも今日は喜多の知り合いによく会う日だ。
 しかし、今度のは先ほどと違って友好的な関係には見えない。
「テメエら……」
 喜多も少し前までとはまるで表情を変えて、眉を寄せ、目の前の男たちを睨みつけている。
「気安く声かけんじゃねぇよ。ボケ」
 押し殺した低い声で男たちを脅す。
 しかし、男どもはにやにやとしまりなく笑い続ける。
 ちょうどそこへ、さっきの三人組の女の子が現れた。
 なにやら楽しそうに話しながらこちらに向かってくる。映画の感想でも言い合っているのだろうか。
 と、僕たちを見つけたらしい。小走りでこちらに向かってくる。
「あっ、喜多先輩。あたしらもいま終わったとこなんですよ」
 朗らかに声をかけてくれたのだが、目の前の男たちに気づくと、身を強張らせた。
 どうやら、彼女たちも知っているらしい。
 まなじりを吊り上げている喜多にはとても聞けそうな雰囲気ではないので、小声で金髪の女の子にたずねる。
「あの、この人たちのこと知ってたら教えて欲しいんだけど。いきなりこんな感じになってわけがわからないんだ」
 何度か視線を喜多と男たちの間を往復させたあと、金髪の女の子が口を開いた。
「あいつら前に先輩にフラれたらしいんすよ。先輩は穏便に断ったらしいんすけど、それを逆恨みしてるらしくて、なんかあったら先輩に絡んでるんです。喜多先輩はあんな奴ら相手にするだけ無駄だっつって相手にしてないんすけど」
 僕たちの会話を聞いていた黒髪の女の子が口を挟んでくる。
「あいつら女なんかヤるだけの相手としか思ってないし、弱いもんイジメばっかするしで、すげぇ嫌われてるんです。特にピアスのほう」
「あたしだってあんな奴ら大嫌いっすよ。あいつら年上だけど、もし喧嘩するんだったらあたしら加勢しますから」
 茶髪の女の子が拳を握ってみせる。
 嫌な予感がする。ドとレとミとファとソとラとシの音が出ないほどではないが、困ったことになりそうだ。
喜多はすでに臨戦態勢に入っている。
 しかしチンピラ二人はそれを気にした様子もなくぺらぺらとしゃべり続けていた。
「……っつーわけでよー、マジでその態度むかつくんだけどおー。俺らのほうが年上なのわかってるかあー?」
「そうだぞ、なんでオマエがそんな偉そうなんだよ。調子乗ってっとボコるぞ」
 坊主頭が腕を振り上げる。
 喜多が反応して攻撃しかけたが、ロンゲがそれを慌てて制した。
「こんな街中で喧嘩する気かー? テメエ骨の髄までバカか。第一俺らに勝てると思ってんのおー?」
 そこで金髪ロンゲが僕を睨んだ。
「おいコラ!? オマエさっきからなに突っ立ってんだよ。さっさとどっか行かないとぶっ殺すぞ」
「あ!? わかったら行けよ」
 坊主頭が僕を軽く突き飛ばした。
 僕はよろめきながら喜多の手を掴んだ。助けを求めたわけではない。その逆だ。彼女を引き止めるために手をとったのだ。
 彼女は僕が小突かれた瞬間に、目の前の男に飛びかかろうとしたのである。
「桐野……!」
 目を見開いて、喜多が僕に問いかけてくる。どうして止めるのかと。
「僕は平気だから行こう」
 せっかくいい映画を見たあとだ。こんな馬鹿どもの相手をするのがもったいない。さっさと喫茶店なり、コーヒーショップなりに行って、二人で映画の話がしたい。喜多の後輩の女の子たちを紹介してもらうのもいいだろう。
 とにかく、僕は一刻も早くこのクズどもから離れたかった。
 喜多の手を引いて、歩き出そうとする。
 背中にチンピラの罵声を浴びせられるが無視する。
「なに? もしかしてそのひょろいのがオマエの男なのかあー。オマエみたいなブスにはお似合いだぜ」
「喜多と付き合うなんて男のほうもさぞかし頭がイカれてるんじゃねーの」
 ギャハハハ、という下卑た笑い声を聞いた喜多の手に力がこもる。握られている僕の指が痛いほどだ。
「喜多さん。ほっとけばいいから」
「でも、桐野が馬鹿にされて……」
 くやしそうに喜多が顔をゆがめる。
 自分のことではなく、僕のことで悔しがってくれるのが、こんなときにも関わらず嬉しい。
「僕だったらなんとも思ってないから」
「おい、コラ! 無視してんじゃねーぞクソガキ!」
 金髪の男がいきなり僕の髪の毛を引っ掴んだ。そのまま頭ごと振り向かされる。
「放せ」
 僕がひるむ様子もなくそう言ったのが、チンピラの癇に障ったらしい。
「ぼくぅー調子に乗ってっとボコっちゃうよー」
 自分の圧倒的優位を確信したむかつく笑顔で、金髪が僕の顔面に拳を振り下ろす。
 拳が頬に当たった瞬間、僕が感じたのは痛みよりも、しまった、という思いだった。
「か――」
 おる、と叫ぶ間もなく喜多は行動を開始していた。正確に言うと、すでに一撃目を終えている。
 僕の目の前で、金髪ロンゲの身体は宙に浮いていた。現実の世界で車田ぶっ飛びを目撃できる日がこようとは。
 喜多の体ごと伸び上がるような壮絶なアッパーをまともに食らったとはいえ、恐るべき威力である。
 ドシャァ! と音をたててロンゲが地面に叩きつけられる。
 後ろにいた坊主頭にはなぜ相棒が吹っ飛んだのかわからないだろう。
「おっ、お前、俺らに手だして……」
 後ずさりながら、坊主が悲鳴のような声で喜多を押しとどめようとする。
「うっせぇぞボケぇ! テメエの男バカにされた挙句ぶん殴られて黙ってられるほどあたしは心が広くねぇんだよっ!」
 喜多は怒号をあげると、頭を振って立ち上がりかけていたロンゲの顔面にとび蹴りを食らわした。
 ダメだ! スカートの中が見えてしまう! あれは僕のだ。
 まだ自分の状況を理解していなかったロンゲはそれをまともに受けてしまう。
「ごげぉっ!!」
 がくんとあごが跳ね上がり、赤いものが散った。
 さらに喜多の追撃があびせられる。地面に沈みつつあったロンゲの顔を、全体重をかけて踏みつけたのである。
「ぎゃあああああっ!」
 聞くに堪えない悲鳴があがる。
 それはそうだろう。アスファルトで頭を削られたようなものだ。

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