襟元を正しながら先ほどの続きを話す。
「ウチに来て大丈夫なのか?」
「テメっ!」
 再びいきりたちかけた喜多をなだめながら口を動かす。
「だから落ち着いてって。家のゴハン喜多さんがつくってるんだろ、僕の家に泊まっていいのか? 僕は嬉しいけど」
 なにを考えているのか、喜多が急に勢い込んで僕に迫る。
「きっ、桐野が嬉しいんだったらあたしはっ……」
「ようするに、お父さんとかの食事はどうするのってこと」
 拍子抜けしたらしい。喜多はがっかりした顔を隠そうともしない。
「なんだそんなことが言いたかったのかよ」
「まあ一応どうするのかなと」
「そんなのどうでもいいよ。子供じゃねぇんだから適当に食うって」
「あそう。じゃあ家の人には今日は帰らないとか言ってある?」
「なんで」
「心配するかもしれないだろ」
「それこそどーでもいいよ。今までだっていちんち、二日ぐらい家に帰らなかったことあるし」
 脳裏に特攻服を着て、マッドマックスみたいに夜の街を駆け抜ける喜多の姿が浮かぶ。
「ま、一応週末は勝手にメシ食えっつってあるから、あたしが家にいないのはわかってると思うぜ」
「だったらいい」
 ……いや、待て。なにかが引っかかる。僕の灰色の脳細胞が違和感を感じている。
 落ち着け、ワトソンスキー改めヘイスティングスキー。 僕ならコカインに頼らなくてもこの違和感の原因に気づけるはずだ。
 ……。
 謎はすべてとけた!
 僕はすぐ横に立っている喜多を見据えた。
 僕とつないでいる手を軽く振りながらご機嫌で歩いている。
「喜多さん」
「あん?」
「素朴な疑問なんだけど」
「まだなんかあんのか」
「週末は帰らないってどういうこと? 週末ってたいていは土、日のことだよな」
「んー……そうだろ」
「僕んちに泊まる約束したのは金曜だけのはずなんだけど。なんで家の人には週末って言ってあるの?」
 ピシッと固まった。なにが? もちろん喜多が。
「どうして?」
 足を止めてしまった彼女の顔を覗き込み、重ねてたずねる。
 喜多を見つめると、すぐに目をそらし、次いで顔ごとよそを向く。
「あ……あたしそんなこと言ったか?」
 ひび割れた声は、まずいことを言ったと自白しているようなものだ。
「言った」
「言ってねぇよ、金曜っつったんだよ」
 反論の声にはまるで力がない。
 僕はにやにや笑いをこらえながら彼女をいじめることにした。
 心配事は片付いたし、なんらはばかることはない。
「僕には確かに聞こえたんだけど、週末家には帰らないって。金曜日は僕の家に泊まるとして、土曜日の夜はどうするの」
「だから、んなことは言ってねぇっつってんだろうがよ」
 喜多が下からえぐりこむように僕を睨む。
 これで目が泳いでいなければ僕も、はい言ってません、とでも言っただろうが、落ち着きない瞳のせいでまるで恐怖を感じない。
「じゃあ僕の聞き間違いか。てっきり土曜日もウチに泊まってくれるのかと思って喜んで損した」
「えっ!」
 驚きのあまり思わず声をあげてしまい、喜多が慌てて自分の口を押さえた。
 掌で孫悟空を転がすお釈迦様の気持ちがよくわかる。
「土曜日も泊まっていいのか!?」
「え? 僕はぜんぜん大丈夫だけど、今喜多さんが金曜だけって言ったんだろ」
「あ……いや、それは。ち、違う」
 目の前にぶら下がったと思った人参があっという間にどこかに消えてしまい、喜多は目に見えてうろたえだした。
 なんとか前言撤回できないものかと、あれこれ悩んでいるのが手に取るようにわかる。
 学校でもへらへらしたりせず、いつもきりっとして、まさに硬派な不良という感じの彼女がこんなふうにおろおろする姿を見られるのは僕だけだと思うと、嬉しくなってくる。
 だが、同時にもっとこの姿を見たいと思ってしまうのは僕だけだろうか。
「僕は泊まってくれたら嬉しかったんだけど」
「桐野が、桐野が喜ぶんだったら泊まってやっても……」
「いやいや、それは喜多さんに悪い。なんか用事があるんだろうし」
「そんなこと、ねぇよ」
「僕に気を使ってくれなくてもいいから。せっかく楽しい週末になるかと思ったのになあ」
「あたしが泊まってやるっつってんだろ!」
「いや、本当に無理しなくてもいいよ。ただ……」
 僕はここで言葉をいったん切って喜多を見つめた。
「喜多さんが最初から僕の家に泊まるつもりだったって言うのなら話は別だけど」
「お、オマエは……っ!」
 言葉を詰まらせ、僕にガンを飛ばしていた喜多だったが、しばらく考えて結論が出たらしい。
「……泊まるつもりでした」
「え? なにが」
 僕は耳に手を当てて聞こえないフリをする。
 ぎりぎりと喜多が歯を食いしばる。僕とつないでいる手の力が増して指が痛い。
「ぜってぇいつかコロス! ……約束は金曜だけだったけど、最初から土曜も桐野んちに泊まるつもりでした! これでいいだろっ!」
 キレた喜多が大声で白状した。
 最初から素直にしていればいいのに、と考えたものの、そんなのは僕の喜多じゃないとも思う。
 男女問題はいつも面倒だ。
「よくできました」
 息も荒く僕を睨みつける喜多ににっこりと笑いかける。
「でも、僕にウソをついた罰は与えないと」
 そう言葉を続けると、ぎょっとした顔で喜多が身を引いた。それでも僕の手を離さないのがかわいらしい。
「ま、まだなにかさせる気かっ」
「ここではしない。今日の夜にじっくりとするから」
 ゆっくりと耳元でささやきかけると彼女は力なくうつむいてしまった。
「あ、あたしはそんなことさせないからな」
 目じりがとろりと下がって、声に熱っぽいものが混ざった。
 きっとなにをされるのか想像して、期待してしまったのだろう。
 僕は、またウソをついた。という言葉を飲み込み、かわりにこう言った。
「わかってる」

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