「おい、お前図書委員になったからな」
 風邪で学校を休んだ次の日。かばんを自分の机に置いた途端に、僕は幼稚園からの腐れ縁である広尾に告げられた。
「はぁ? マジで?」
「おう、マジ。で、女の図書委員なんだけどよ……。あ、また後でな」
 広尾がなにか言いかけたところで止めてしまった。ドアを見ると先生が出席簿を手に教室に入ってくるのが見えた。
「お、おいちょっと待てって」
 声をかける僕を無視して、広尾は自分の席に着いた。当たり前だ。もし僕が広尾の立場だとしてもそうする。
 先生が朝のホームルームを始めるのを、ぼんやりと聞き流しながら、僕は黒板の横に張られている紙切れに目をやった。
 一番上には『二学期の委員』とでかでかと印刷されていて、その下には学級委員に始まって保険委員や僕がなったらしい図書委員、はては悩み事相談委員、宿題回収委員なんてわけのわからない委員まで、やたらとたくさんの役職が書かれている。
 一学期にも思ったが、どうしてこの学校はこんなにも無駄な委員をおくのだろう。まるでよく頑張ったで賞とか、綺麗に色が塗れたで賞みたいな、ものすごく子供だましな気がする。
 しかし、どうして僕が図書委員なんかに……。そういえば広尾が女子の図書委員がどうとか言っていたけど。
 僕は自分が二学期を通して一緒に図書委員をするのが誰なのか気になった。別に好きな子がいて、その子がいいなんてことはないが、嫌なやつよりは気の合う子のほうがいいというものだ。
 ちょっとした期待を込めて視線を投げかけると、そこには予想もしなかった名前が書かれていた。喜多薫。
「なんで!?」
 思わず声がでてしまった。あわてて僕はあたりを見回すと、クラスメートが驚いた顔をしている。
「馬鹿もん! なんでも、かんでもない。夏休み明けの始業式の日に休むお前が悪いんだ。いいな、ちゃんと今日の放課後の図書委員会に出席するんだぞ」
 なぜか会話が成り立っている。どうやら、そんなにタイミングをはずしたセリフではなかったようだ。
 しかし、なに? 図書委員会? 今日の放課後? 僕の混乱は収まらない。
「ちょっ、え、今日の放課後ですか?」
「馬鹿もん! なんど言わす気だ。これが最後だぞ。今日の放課後、図書委員会があるからお前と、喜多はきちんと出席するように。よし、それじゃあ今日も勉学に励めよ」
 いつも通りのしめの言葉を口にすると、先生はまだ呆然としたままの僕をほうって出て行ってしまった。
 僕の通っている高校は進学校というほど勉強にいそしんではいないが、札付きの不良が集まるやくざ予備校というほどでもない。実に中途半端な、至極普通の高校だ。
 だから、生徒にはまじめな高校生から、不真面目な奴、スポーツマンにオタクにヤンキーと幅広い生徒が通っている。
 そのなかで僕は、この普通の高校にかようにふさわしい、ごく平凡な生徒だ。
 しかし、僕と同じ図書委員をやる喜多薫は違う。立派なヤンキーだ。タバコを吸っているところを見たこともあるし、授業もサボる。噂では暴走族に入っているという話もある。はっきり言って僕とは共通点がまったくない。
 その喜多がなぜ図書委員なんかをやることにしたんだ? 他のクラスは知らないが、うちのクラスの委員は基本的に立候補制だから、先生に強制的にやらされたということもないだろう。
 なんで喜多が図書委員なんかに。
 僕は朝の出来事を思い出した。
 いつものように家を出て学校に向かって、通学路の土手をのんびりと歩く。
 最近の日本では珍しいだろう綺麗な自然が残っている場所で、川のせせらぎとともに、春には桜が咲いたりして季節ごとに姿をかえる中々に素晴らしい場所だ。
 今は夏なので、青々とした光景が広がっていて、草の香りが心地よい。
 学校に行くのは正直だるいが、そこを通っているときは自然って素晴らしいなぁ。などと柄にもないことを考えてしまう。
 ところが今日はそれがぶち壊しだった。
 なぜなら、さわやかな朝の空気を切り裂いて男の悲鳴が聞こえたからだ。
 僕以外にも数人いた学生やサラリーマンが一斉に声のしたほうを見る。
 そこには股間を押さえてへたりこんでいるヤンキーがいた。
 状況を察するに、男を見下ろしている女が男の大事な部分を蹴りつけたのだろうということはすぐにわかった。
 女は真っ青になっている男の顔面に思い切りサッカーボールキックを食らわした。
 男がへたりこんでいるせいで蹴りやすい位置に顔があったからだろう。
 しかし、だから蹴ってよいかというと、そうじゃない。
 男は盛大に鼻血を撒き散らしながら、後ろに吹っ飛んだ。もしかすると歯も折れているかもしれない。
 這いずりながら逃げようとする男に、女はさらに蹴りを加え続ける。
「てめぇ、しつこいんだよ! お前がなれなれしくしたせいで、朝のすがすがしい時間が台無しだろうが! ぼけっ! あたしの爽やかな通学を返せっ」
 それはこっちのセリフだとあたりにいた誰もが思っただろう。
 これから一日頑張ろうってときに、こんなバイオレンスシーンを見せられたのではたまらない。
 しかし、周囲の人間は、そんな抗議は一切せずに、それぞれの職場や学校に向かいだした。
 僕も当然そうするつもりだったのだが、ぼけっとその光景を眺めていたせいだろう。小刻みにしか動かなくなっていた男を蹴りまくり、あげくのはてに噛んでいたガムを男に吐き捨てた女と目が合ってしまったのだ。
 僕はすぐさま視線をそらし、学校に向かおうとした。
 だが、不運なことに女は僕を知っていた。そのうえ、あろうことか僕に声をかけてきたのだ。
「よ、よう桐野」
 そう、クラスメートであり、今学期の僕の相棒――図書委員限定――の喜多だった。
 ずんずんとこちらに近づいてくる彼女を、無視する勇気など僕にあるはずもなく、突っ立っているしかできない。
 どうして喜多の靴は赤く汚れているのだろう。地面には赤いものなんておちていないはずなのになぁ。僕がつらい現実から目をそらしていると、厳しい荒波が僕に襲い掛かった。
「一応言っとくけど、あたしは毎日こんなことをしてるわけじゃないからな」
 喜多はまずいところを見られたという顔をしていた。
「そうだろうね」
 されていては困る。ここは世紀末救世主が必要な時代ではなく、輝かしい二十一世紀なのだから。
「あのバカがなれなれしく肩組んできた上に、む、胸を触ったから、しょうがなくだな」
「……知り合い?」
「違う。いや……前にどっかで見たような気もするけど。なんだろ、友達の知り合いかなんかかな、それとも集会のとき会ったやつかもしれない」
「まあいいけど」
 それから、僕は気まずい思いをしながら、喜多と二人で学校に向かったのだ。
「よぉ、ガム食べる?」
「いいよ」
 僕はガムを吐きつけられた哀れな男を思い出してしまって、とてもじゃないがそんなものを食べる心境ではない。
「いまさぁ禁煙してるからさ、代わりにガム噛んでんだよ」
「禁煙……」
「やっぱり普通の男はタバコ吸ってる女嫌いだろ?」
「まぁ人にもよると思うけど」
「……えっと……さぁ、じゃあ、お前はどう?」
「なにが」
「タバコ吸ってる女は嫌いかどうか」
「まぁ吸ってないに越したことはないと思うけど」
「な。やっぱり禁煙してたほうがいいだろ」
「少なくとも健康にはいいだろうね」
 途中で友達と何人もあったけれど、僕と一緒にいる相手を見ると、誰も声をかけてこなかった。
 ぼんやりと図書委員にはまるで必要ないエピソードについて、僕が考えている間に一時間目が終わったらしい。
 授業の終了を告げるチャイムが聞こえ出した。
 チャイムが鳴り終わるのと同時に広尾の元に向かう。
「どうした桐野」
 広尾がのんきな顔で言った。
「なんで喜多が図書委員なんかやってるんだ?」
「あれ、なんで知ってんの? ああ、もう黒板の横に委員の表張ってあるもんな」
 一人で納得している広尾に、僕はもう一度同じ質問をする。
「なんで喜多が図書委員なんかやってるんだ?」
「さぁ、やりたかったんじゃねぇの」
「ヤンキーが図書委員なんかやりたがるか、普通」
「普通のヤンキーじゃねぇんじゃねぇ?」
 広尾からまるで馬鹿みたいな答えが返ってきた。
 小さいときからの腐れ縁じゃなかったら、とっくの昔に友達じゃなくなってるかもしれない。
「だって自分から立候補したんだから」
 僕の冷たい視線に気づいたのか、広尾があわてて付け足した。
「喜多が?」
「おう。えっとな……昨日の委員決めのとき男子で図書委員やりたがるやつが誰もいなかったから、俺がお前を推薦したんだよ」
 この馬鹿のせいで僕は図書委員になったのか。
 僕の内心の怒りを知らずに、広尾は言葉を続ける。
「そんで、女子もやりたいやついなかったんだよ。したら、そのあと喜多が図書委員やるって言って。それで喜多になった」
「ふぅん」
「みんなビビッてたぜ。なんで喜多が図書委員なんだって。でも、もう他に宿題回収委員みたいのしか残ってなかったからかもしんねぇけど。まぁ適当に頑張れよ。喜多ってちょっと怖いけど結構美人だし、楽しいかもよ」
 広尾が気楽そうに言うと、二時間目のチャイムが鳴った。
 あいつは朝のお子様には見せられない光景を見てないから、そんなのんきなことが言えるのだ。
 僕は、あらためて広尾がもてるのはその整った顔のせいだ、ということを実感しながら、席に戻った。


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