その後は、いつもどおりに一日が過ぎていった。まだ夏休みボケの抜けない頭を学校に慣らしながら、適当に授業を受けていると、あっという間に放課後になった。
「それじゃあ、また明日も勉学に励むように」
 いつもどおりのしめの言葉で、いつもどおり先生は出席簿をばしんと叩き、教室をでていった。
「おう、それじゃあお先。図書委員頑張ってくれ」
 気楽にひらひら手を振ると、広尾が教室を出ていった。どうせ下駄箱に女の子を待たせているのだろう。
 が、さっさと下駄箱に向かえばいいものを、去り際にドアのところから顔だけ出してこっちをにやにや見ている。
 僕がいぶかしげな視線を向けると、待っていたように口を開く。
「もし、いい感じになったら女友達紹介するように言っといて。そっち系の女の子にあんま知り合いいねぇから」
 僕は広尾と友達をやめるカウントダウンを、今この瞬間に開始した。
 気まずい、ほとんど会話もしたことない殺戮マシンと同じ委員をやらなければならない僕の苦痛をわからないとは。
 喜多のほうを僕がちらりと見ると、ちょうど椅子から立ち上がろうとしているところだった。
「喜多さん」
「あぁん?」
 にらみつけられたが、これぐらいでひるんでいられない。
「そろそろ図書委員会行こう、もうすぐ始まる」
 なんだか、妙にぎこちないしゃべりになってしまった。
 最悪だ、これじゃあ声かけるのに緊張してるの丸分かりじゃないか。
「わかった」
 以外に素直な返事だったので、僕は少し驚いた。
 だるいからそんなもん行くわけねぇだろ。とかそんな言葉を予想していたのだ。
 僕たち二人は気まずい沈黙のまま、委員会を開く会議室に向かって廊下を歩いた。もっとも、居心地の悪い思いをしているのは僕だけで、喜多のほうはなんとも思っていないのかもしれないが。

 喜多は他のクラスのやつにも知られているらしく、会議室に入ると中の人間に緊張が走った。
 ま、しかたないだろう。不良と図書館、ミスマッチにもほどがある。
 委員会自体は三十分程度で終わった。今日から持ち回りで、一組から順番に図書室の本の整理をしろということを通達して、その整理の際の注意事項を伝えるだけの簡単なものだったからだ。
 しかし、僕はその通達を受けると同時に、少しテンションが下がってしまった。僕は一組なのだ。
 委員会が解散すると、僕と喜多は図書室に向かった。当然だがその間、ほとんど言葉を交わさなかった。
 図書室に入ると、司書のお姉さんがさわやかな笑顔を向けてきた。
 今の僕にはまぶしすぎる笑顔だ。きっと、僕が喜多とどんな会話をすればいいか、ここに来る途中で百万通りのシミュレーションをしたことなんてまったく想像もしていないのだろう。
「あ、君たち図書委員の子? それじゃあこっちにある本を向こうの書庫にジャンル、作者別に分けてね」
「あたしそんなに本に興味ないからジャンルなんてわかんないんだけど」
 本に興味のないやつが図書委員なんかに立候補するな! ぶっきらぼうな口調の喜多に僕がひやひやしていると、司書のお姉さんはそんなことは気にせず、あいかわらずの笑顔で答えた。
「大丈夫よ。ちゃんと背表紙のとこに貼ってあるシールに書いてあるから。それ見れば誰でもわかるわよ」
 そのあと、細々とした指示を与えられた。
 説明が終わるころになると、僕はこの司書のお姉さんの笑顔は別に笑っているわけではなく、笑顔が顔に貼りついているだけなのだと思い始めていた。
「それじゃ、よろしくね。私は別のところで作業してるけど、サボっちゃだめよ」
 自分がサボるんじゃないのか。僕のもっともな思いは当然、口には出さない。
 再び、僕と喜多の二人だけになってしまった。
 さっさと終わらせて帰ろう。そうすれば、この苦痛からも開放される。
「えっ……と、僕こっちのほうやるから、喜多さんはそっちの書庫頼む」
「ああ、いいよ」
 短い返事を残して、喜多は僕に背を向けて歩いていった。どうやら僕はあまり嫌われてはいないらしい。
 しばらくのあいだ、僕はまじめに本の整理をしていたが、単純作業のため、どうしても集中力が切れてしまう。
 僕はぐるりと首を回し、大きく伸びをした。すると、離れたところにいる喜多が目に入った。
 驚くことに、喜多は眼鏡をかけていた。気の強そうな喜多の顔つきに、それはなかなか似合っている。将来、できるキャリアウーマンになるかもしれないな。たしか頭は悪くなかったはずだ。
 馬鹿な想像をしてぼんやりしていると、喜多は自分へ向けられる視線に気づいたらしい。
「なんだよ、あたしが眼鏡しちゃ悪いか」
 自分ではイメージに合わないと思っているのだろう。眼鏡姿を見られて少しばつが悪そうにしている。
「まさか。似合ってるなって思っただけだよ」
 僕の言葉に、喜多は驚くべき反応を示した。なんと照れくさそうに頬を染めたのだ。しかし、口から出る言葉はその可愛らしい様子とはまるで違っていた。
「うっせぇ。勝手なこと言ってんじゃねぇよ」
 さすがに迫力がある。僕は素直に謝り、再び作業に没頭した。
 本の山を少しずつ切り崩していると、どうも誰かに見られている気がする。
 顔をあげると喜多と目が合った。
「なにこっち見てんだ!」
 見てたのはそっちだろう。そう思ったが口には出さない。僕も大人だ、これくらいは広い心で許してやろう。決して殴られるのを怖がったわけじゃあない。
 重ねて言う。宝物を蹴り上げられてうずくまった朝の男なんか、頭に浮かびもしていない。
 軽く肩をすくめ、本を手に取った。
 図書室を沈黙が支配する。
 いつまでたっても減らない目の前の山にうんざりしていると、再び視線を感じた。
 喜多のほうを向くと、やはり目が合った。
「だから見んなって言っただろ!」
 真っ赤な顔をして喜多が怒鳴る。
 ちょっと待て。なんで僕がキレられなきゃならない。いや、落ち着け僕。
 そう、相手は触れるものみな傷つけるような女なんだ。
 海のように広い心で許してやろう。
「わかった。もう見ないよ」
 僕は小さく溜息をついてそう言った。
 すると、なぜか喜多が少し残念そうな顔をした。
「わ、わかればいいんだよ」
 もごもごと取り繕うように唇を動かすと、そのままうつむいてしまう。
 ギザギザハートの持ち主は難しい。
 そして、やっぱりというべきか。五分もすると、喜多の視線を感じはじめた。
 こういうものは一度気になるとどうにもならない。
 僕は顔をあげた。
 これで喜多と目が合うのは三度目か。
「いい加減にしろっつってんだろ」
 例によって喜多の声が図書室に響く。
 しかし、今回は僕の対応が違う。
 仏の顔は三度までだが、僕の顔に三度目はない。
 黙って立ち上がると、本の隙間をぬってずんずん喜多に近づいていく。
 今までと違う僕の態度に、少しひるんだ様子で彼女がこちらを見つめている。
「な、なんだよ」
 目の前に突っ立っている僕に、喜多が問いかけた。
 僕は喜多を見下ろしながら、口を開く。
「あのさ、僕のことが嫌いならそれでいいけど、そのうっとおしい因縁のつけ方やめてくれ」
 ブチキレて拳が飛んでくるかとも思ったが、喜多はぽかんとした顔で僕を見上げるだけだった。
 僕が目の前から立ち去りかけると、喜多は僕の服の裾をひっぱり、勢いよく立ち上がろうとした。
 突然の出来事に僕は思わずバランスを崩してよろけてしまう。
「おわっ!」
「えっ?」
 すると、僕を捕まえていた喜多の体勢も崩れる。
 僕たちは二人仲良く図書室の床に倒れこむこととなった。
 周りに積み上げられた本が僕の上にどさどさと落ちてくる。
 僕は本が凶器になりうることを知った。角がやばい、角が。
 ファイナルファンタジーの学者を馬鹿にしていたが、今ならナイスチョイスと褒めることができそうだ。
 古い本ばっかりだったのだろうか、あたりが埃まみれになってしまった。
 僕が咳き込んでいると、体の下から心配そうな声が聞こえた。
「おい……大丈夫か?」
 喜多だった。
「え、まあ大丈夫だよ。埃がうっとおしいけど」
「もしかしてあたしをかばってくれたのか?」
 そう! 僕はサーの称号を授かってもいいぐらいの紳士なのだ。体が自然と女の子をかばってしまう。わけがない。喜多の上に覆いかぶさったのは偶然だ。
 しかし、わざわざ真実を告げるほど僕はバカ正直じゃない。
「さあ」
 あいまいにとぼけてみせる。
「その、えっと……ありがと。一応礼は言っとくよ」
 素直にお礼を言われた僕は、驚きのあまり喜多を見つめてしまう。
 余計なことしてんじゃねえよ。とか言われると思っていたからだ。
 今日は喜多の意外な姿をよく見る日だ。もしかすると評判よりもいいやつなのかもしれない。


進む
戻る

作品選択へ戻る