眼鏡のレンズ越しに見える喜多の鋭い瞳に、僕の顔が映っている。
 近い!
 そのとき初めて、僕は今の自分が喜多と密着していることに気づいた。
 少しつりあがった気の強そうな目は、僕に猫科の獣を思わせる。そう、豹がイメージにぴったりだ。
 「あ、あんまり見るなよ……」
 図書室に着てから、もう何度も同じようなことを言われているが、今までとはまるで違う響きだった。
 喜多が顔をそむけると、眼鏡の上に髪の毛がかかって、視線を隠してしまった。
 黒髪ではない、きっと脱色剤で痛んでいるであろう金髪だ。
 最近は手入れを怠っているのか、根元のほうから元の黒が金をじわじわと侵食していて、いわゆるプリン頭になってしまっている。
 弱々しく、今にも消えてしまいそうなか細い声。
 恥ずかしそうにそむけられた顔。
 うっすらと桃色に染まった頬。
 かわいい。
 頭に浮かんだその四文字を僕は否定することができない。
 目の前にある本の背表紙を見つめながら、喜多がわずかに唇を開いた。
「はやく……どけよ」
 ついさっきまでのけんか腰はどこかへいってしまったのだろう。
 どうも僕に覆いかぶされてからの喜多は態度がおかしい。
 この密着した体勢が原因なのだろうか。
 そうすると、以外にも喜多はあまり男慣れしていないのかもしれない。
 僕はこの状況を利用することにした。
 喜多の元にやってきた問題を解決することにしよう。
「どうして僕をじろじろ見るんだ?」
「別に見てねぇだろ。いいからどけよ」
「いいや、見てた。本の整理してるとき」
「み、見て……ない」
 なんて強情な女なんだろう。
 まあいい。
「わかった。じゃあ見てないってことでいいけど、なにか僕に文句でもあるのか」
「は?」
 ぽかんとした顔で喜多が間抜けな声を漏らした。
「なにが気に食わないんだ。ケンカ売られる理由がさっぱりわからない」
「なんの話だよ?」
 のみこみの悪い女だな。それとも、まだとぼけるつもりなのか。
「だから、僕に文句があるからずっとガン飛ばして、にらんでるんだろ」
 これだけ言って駄目なら、もう喜多のことはほうっておくしかないな。
 僕がそう考えていると、喜多は眉を寄せて考え込んでいた。
 本気でなんのことかわかってないのか……?
 しばらく僕のことなど忘れたように喜多は悩んでいたが、ようやく思い当たるふしがあったらしく、小さく声をあげた。
「あっ!」
「なんで自分のことなのにそんなに考える必要があるんだ」
「あっ、あれは睨んでたわけじゃねぇよ。このぼけ!」
 くそっ。さっきかわいいと思ったのは気の迷いだった。
「じゃあなんで僕のこと見てたんだ」
「そっ……それはうっせぇ! 関係ねぇだろ、ばか」
「バカはそっちだ。見られてる本人が関係ないわけないだろ」
「ぐだぐだ言うなよっ!」
「ぐだぐだ言ってるのはそっちだろう、どうして僕を見てたのか早く言え」
「……」
 喜多は返事をせずに、ぎりぎりと歯軋りしながら、僕のことを睨んでいる。
 さすがの迫力というべきだろうか。けっこう怖い。
 そして……認めたくはないが、怒っている彼女の顔は綺麗だった。
 ひそかに喜多を好きな男が多いらしいというのもうなずける。
 しかし、いつになったら理由を教えてくれるのだろうか。
「なんでわからないんだよっ!」
 口を開いたと思ったら逆ギレとは。なんともはや。
「わかるほうが不思議だと思うけど」
「鈍感! お前神経ないんじゃないのか!
」  なんて無礼な女だろう。しつけのためにおしおきが必要だ。僕は喜多のほっぺたをつねってやった。
「ひたいっ。なにひゅるんだ」
 唇の端から空気が漏れて、間抜けなしゃべりかたになっている喜多を、僕はにやりと見下ろした。
「いいかげんに理由を言えってば」
「わかったよ、言ってやる。言ったらいいかげんあたしの上からどけよ」
「そういう、素直な言葉を待ってたんだ。教えてくれたらどくよ」
「くそっ! 好きな男を見るのに理由なんかあるかバカっ」
 今度は僕が眉をひそめ、間抜け面をさらす番だった。
「普通わかるだろ! なんで気づかないんだよっ! ちくしょう、このまぬけ野郎!」
 僕が喜多の言葉を咀嚼している間にも、ぽんぽんと威勢のよい言葉が浴びせかけられる。
 うるさいな。こっちは状況を理解するのに必死なんだ。ちょっとは黙ってくれ。
「この腰抜け! 男のくせにぺらぺら口ばっか達者で。日本が不景気なのもお前のせいなんだよっ! だいたい……」
 だんだん僕とは関係ないものの責任まで背負わされている気がするが、それはこの際どうでもいい。
「今、なんて言った?」
「あぁん? この前サイフ落としたのもお前のせいだって……」
 それはいくらなんでも自分のせいだろう……。
 いや、そうじゃない。
「ちがう。その前」
「買いたかった服を先に買われたのも……」
 僕はおちょくられてるのか?
「ちがう! その前、僕を見る理由だよ」
「ちくしょう! バカにしてんのか! そんなこと何回も言えるわけねぇだろ!」
「僕を好きだからって言ったな?」
 言うと、これまでの態度が一変して、喜多はもじもじと恥ずかしそうに、そっぽを向いてしまった。
「そ……そんなふうに言われると恥ずかしいだろ……」
「まさか・・・」
「まさかじゃねぇよバカ! ここまで言わせといてケンカ売ってんのか」
 ということは……喜多は僕のことが好きなのか!
 なんともはや……すごい展開になってきた。
 頭がくらくらする。
 しかし、とてもじゃないが好きな男に対する態度じゃないな。
「おい、告白したんだからさっさと返事しろよな」
「は……?」
「だから、私はお前のこと好きだって言ったんだから、その返事だよ」
「……」
「どうなんだよ。あぁ!?」
 これが告白の返事を待つ女のセリフか?
 普通はどきどきと一世一代の決心で、愛しい相手に想いを告げたのなら、その返事を待つ間は、不安と期待を行ったり来たりしながら、もうまともではいられないはずじゃないのか。
 それが『あぁ!?』ときた。まるでガンとばしてるみたいじゃないか。
 好きと言われたのは嫌ではない。むしろ嬉しいぐらいだが、ちょっとその態度には納得できない。
「ちゃっちゃと答えろよ。あたしのこと好きなのか嫌いなのか。付き合うのか付き合わないのか。どっちなんだよ」
 僕はカチンときた。
 もう少し殊勝な態度でいるべきじゃないのか?
 喜多にはお仕置きが必要だ。
「喜多」
 名前を呼ばれると、さすがに緊張するのか、喜多は黙ってこちらを見上げた。
 しかし、僕がいつまで経ってもなにも言わないので、焦れてきたらしい。
「おい、もったいつけないで早く言えよ」
「告白した相手に対する言葉じゃないよな」
「はぁ?」
「もっとしおらしい態度でいるべきじゃないのか」
「なに言ってんだお前」
「だから……僕がしつけてやる!」


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