キスを終え、時計を見ると、もう六時をとっくに回っていた。
 そろそろ司書が図書室に戻ってくるかもしれない。いや、今まで一度もやって来なかったのが不思議なほどだ。
 やっぱりあの女、自分はサボってるんじゃないだろうな。
 けれど、そのおかげでこんなことができたんだから良しとするか。
 いや。まだ完全に良しとはいかない。喜多は気持ちよかったかも知れないが、僕はなんにもなっていない。
 下半身は熱く硬くなっている。
 今すぐに喜多としたい!
 したい! が、もういつ司書が現れてもおかしくない。
 僕はズボンの上からでもわかるぐらい、大きくなったものを見て頭が痛くなった。
 五分後。
 結局、僕はあきらめた。チャンスはこれからいくらでもあるんだ。そう自分に必死で言い聞かせたのだ。
 そして、いつまでも喜多の上半身を丸出しにしているわけにもいかず、自分ではなにもできないほどふらふらの喜多に制服を着せてやっていた。
 図書室の扉ががたがたと音を立てた。
 司書だ! まずい!
 全速で喜多の格好をなんとか整える。
 こちらの気持ちも知らないで、扉をあけて司書がのんきな顔を出した。
「もう結構な時間だから今日はこのへんで……あら、全然進んでないじゃない」
 こっちにも色々あるんだよ!
 だが、そんなことはおくびにもださない。
「慣れない作業なもので」
「図書委員でしょ、しっかりしなさいよ」
「昨日なったばかりの新人なものでして」
「まあいいわ。終わるまでぐるぐる一組から六組までローテーションするだけだから」
 相変わらず微笑を貼り付けた顔で、好き勝手なことを言っている司書の言葉を聞き流していると、とんでもないものが僕の目に飛び込んできた。
 いまだ夢見心地でぼーっと突っ立ったままの喜多の足元にブラが落ちているのだ!
 当然、さきほど僕が剥ぎ取ったもの以外のなにものでもない
 そういえばシャツを着せ、セーラー服を着せたものの、ブラジャーを着けた記憶がない。
 大多数の男と同じく、僕にブラを着ける習慣なんかあるわけないので、すっかり存在を忘れていた。
 まずい。まずいぞ。
 幸い、そこら中に積み上げられている本のおかげで、司書からは見えていないようだが、図書室に入ってこられでもしたらおしまいだ。
 そうこうしている、うちに司書はぶつぶつなにかを言いながら中にこちらにやってくる。
 なんとかしなければ。でもどうやって。
 そうだ!
「あっ! 喜多さん、大丈夫? さっきから調子悪いって言ってたよね。今もちょっとよろけたみたいだけど。すいません。ちょっと喜多さんの体調が悪いみたいなんで保健室に連れて行きます」
「え? あ、ちょっときみ」
 僕は言うだけ言うと、相手の返事も待たずに喜多のほうへ早足で近づいていった。
「えっと、荷物はこれで、ほかにはないよね」
 一人芝居をしながら、カバンの陰ですばやく喜多のブラを拾いあげると、ズボンのポケットに無理やり押し込む。
「それじゃあ、僕達これで失礼します」
「え、ああ、そうね。気をつけて帰ってね」
 それから僕は保健室には向かわずに、さっさと家に帰ろうとした。
 が、喜多の様子を見ていると、とても一人では無事に帰れそうになかったので、生徒手帳の住所を頼りに家まで送っていくハメになった。
 別れ際に、僕は喜多の耳元でささやいた。
「明日は金曜日だから、週末を使ってゆっくり喜多さんを僕のものにしてあげるよ」
 聞こえているのか、いないのか。
 おぼつかない足取りで喜多は家に入っていった。
「おらぁ! 桐野ぉ! こそこそしねぇで出て来い!!」
 がこぉん! 僕は盛大に机に頭を打ち付けた。
 朝のホームルームが始まる前。
 ぞろぞろとクラスメートが教室に入ってくる中、僕もみんなと同じように自分の机にかばんを掛けたときだった。
 朝のさわやかな空気と、クラスメートのざわめきが入り混じった教室が怒号で切り裂かれたのは。
 教室にいた全員が、いや、廊下にいた他のクラスの生徒達も、黒板の横のドアに立っている女に注目した。
 彼女は赤地に、様々な文章が刺繍されている派手な服――いわゆる特攻服――を身に纏い、手にした木刀で肩を軽く叩いている。
 金色に脱色した髪の毛を揺らしながら、教室の入り口をふさぐようにして仁王立ちになっている彼女は、とてもじゃないが一見して学生には見えない。
 だが、僕にはわかったし、クラスメートにもわかった。
 なぜか。
 特攻服女が喜多だからだ。
 すでに教室にいた広尾が僕にすばやく近づいてくる。
「おい、あれなんだよ。お前なにしたっつうの? 昨日なにかあったのか」
 ひそひそ声での質問に、僕は顔から血の気が引いていくのを感じた。
「ちょ、ちょっとね」
「ばっ、おま、あれちょっとどころじゃねえって」
「い……いろいろあったんだ。僕とお前は子供の頃からの友達だよな。親友といってもいいよな」
「えーっと……どちらさまでしょうか? 俺とあなたは初対面ですよね。転校生の方ですか?」
 頼りがいのある幼馴染を持ったことを天に感謝しなければ。
 僕と広尾が無駄口を叩いている間に、喜多の視線は教室を一巡りし、すみでこそこそしている僕を見つけ出した。
 喜多と目が合った。
 猛獣が哀れな獲物を見つけたときの目だ。
 僕は死ぬんだな。……決定的に。
 僕はいともすんなりそれを受け入れた。恐怖はなかった。後悔もなかった。それだけのことをしたんだからな。そう思った。
 圧倒的強者の前にあるのは、氷のように冷たい死にゆく自分を見る目だけだった。
 そしてまた、生きながら蛇に飲み込まれる蛙の気持ちを理解したとも思った。
 一歩一歩こちらに近づいてくる喜多をどうすることもできずに、僕はただじっと立っていた。
 喜多が目の前にやって来た頃には、広尾はとっくに他のクラスメートと同じように、野次馬の一人になっていた。
「おい、桐野」
 ドスの効いた喜多の声が僕の名前を呼んだ。
「な……なにかな」
「話があるからちょっと付き合えよ」
 話し合いに木刀はいらないかと思われますが。
「こ、こでいいんじゃないかな。話なら十分にできると思うけど」
「ば、馬鹿かお前はっ! こんなところでできる話じゃねぇんだよっ!」
 顔を真っ赤にして怒鳴ると、喜多は僕の腕を掴み、歩き出した。
 まるでモーゼの十戒のようにクラスメートが真っ二つに分かれていく。
 視界の片隅に、手を合わせている広尾が映ったが、もうそんなことはどうでもよかった。
 されるがままに喜多に引きずられていると、校舎裏に連れてこられた。
 昼でも校舎の影になって薄暗く、誰にも見向きもされない人気のない場所だ。
 悪事を働くには絶好の場所といえる。特に人に見られたくない殺人とかには。


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