しばらくして、喜多が食事の支度が整ったことを伝えにきたときには、正造さんの目じりは下がり、今にも溶けてしまいそうなほどだった。
 ふすまを開けた喜多が父親の様子にぎょっとした顔になる。
「げっ、オヤジ……。どうかしたのか?」
 父親としての喜び――申し訳ないことに偽りの、だが――をかみ締めている正造さんを横目に、喜多がぼそぼそと僕に問いかけてくる。
 僕も彼女と同様に小声で返す。
「いや、ちょっと幸せは子猫の形かどうか話してただけだから気にしないほうがいいと思う」
 喜多は腑に落ちない様子だったが、ここに来た目的を思い出したらしく、台所に行くように促した。
「メシの支度できたから早くこいよ。源二と源三はもう来てるぞ」
「……二人とも居るの?」
 僕の当然の疑問に喜多があっけらかんと答える。
「当たり前だろ。なんかオヤジと桐野があんまり仲いいからでてきたっつってたけど」
 ……あいつら。
 二輪にて身の証を立てさせてやりたい。
 僕が内心の怒りを押し殺していると、正造さんがおもむろに娘に話しかけた。
「薫」
「あぁ?」
「うむ……なにも言うな、パパはわかっているぞ」
 彼女にとっては意味不明なことを言い、一人でうなずいている父親を見て、喜多は眉をしかめた。
「はぁ? わけわかんねぇこと言ってねぇでメシ食うぞ」

 食堂に行くと、すでに源二さん、源三くんの二人は席についていた。
「よぉ」
「ど、どうも」
 僕に気楽に声をかけてきたのは源二さん。源三君は申し訳なさそうにしている。
「さっきはありがとうございました」
 僕の言葉に、二人は気まずそうに誤魔化すような笑みを交わした。
 そんな複雑な人間関係には関係なく、食卓には大皿に乗せられた沢山の料理が並んでいる。
 それぞれの席の前に空の皿が置いてあるので、好きなものを取って食べてくれということだろう。
 まず、サラダだけでも三種類あり、トマトサラダに、ゴーヤーサラダ、鶏肉のたたき風サラダ。
 続いて肉関係がカルビの串焼き、大根おろしの乗った和風ステーキ、野菜の牛肉巻きと続く。
 そして、主食の炭水化物としてパスタが小エビとほうれん草のパスタ、ソラマメとベーコンのクリームパスタと二種類。
 さらにとどめに茄子と長ねぎの焼き浸し、ほうれん草とチーズのスフレロールがある。
 種類もそうだが、それぞれがとても昼食とは思えない量である。
 しかし、正造さんに源二君は立派な体格だし、源三君も体操選手ということを考えれば、喜多家ではこれが当たり前なのかもしれない。
 そして、それに加えて、僕が家に来るということで喜多が少しばかり張り切った可能性もある。
 とはいえ、凄い昼食であることは間違いない。
 僕は適当にいくつかを皿に取り、箸をつけた。相変わらずの美味しさに一口、二口と食が進む。
 はじめのうちこそ、源二さんも源三君も申し訳なさそうにしていたが、すぐに元のように接してくるようになった。
「いや、マジで悪ぃ。反省してるからよ、まあ水にさらっと流してくれや」
「本当にすいませんでした。どうしても父には逆らえなくて」
 ぺこりと下げる源三君を見て、僕は二人に気にしていないことを伝える。
「いや、まあ仕方ないと思いますよ。僕もあの状況を体験した後だったら二人の気持ちもわかるし」
「だろ! ほんとオヤジは薫を溺愛してっからさ。いやあ、修がいい奴でよかったわ。さあ食ってくれよ。料理は薫の唯一の特技だからな」
 いくらかほっとした表情で源二さんが目の前の料理の山を手で示す。
「いや、別に唯一じゃないですよ。他にも色々とあると思うし」
「いやいや、あのバカにはそれぐらいしかねえって」
「あ!? 誰がバカだって」
「えっ、い、いや、違う。薫の料理はバカ旨だなって言ったんだよ。なあ源三」
「う、うん。やっぱり姉ちゃんの料理はいいなあ」
「僕もそう思う。本当に美味しい。やっぱり喜多さんの料理は最高だ」
 僕は箸を動かしながら、いつものように喜多さんに感想を述べる。別に源二さんへのフォローではない。本心からの言葉である。
 と、それを照れ臭そうに受けた彼女もいつものように、たいしたことねぇよ、と伏目がちに言う。
 こういうのいいなあ。
「お、薫。なに照れてんだよ。彼氏に褒められて嬉しいのか」
 僕たちの様子を見て、にやにや笑いながら源二さんが冷やかすと、喜多が真っ赤になって照れた。
「うっせぇ! てめえは黙って食ってろボケジっ!」
「おい、修。彼女がこんな言葉遣いすんのはどう思うよ。やっぱ彼氏としては悲しいよな」
「なっ、てめっ! てめぇには関係ないだろ、……!? ちょっと待て、いまなんつった?」
 突如、喜多が気色ばむ。
「お前がそんな言葉遣いだと修が悲しむって言ったんだよ」
「おまっ、えっ!? あたしだって、まだっ、なんでボケジが馴れ馴れしく」
 ひどく悔しそうに手にした箸を握りしめている。
 いったいどうしたのだろう。
 僕が不思議に思っていると、喜多が突然こちらを振り向き、ぎこちない笑みを浮かべる。
「きり……し、修? な、なにか欲しいものあったら取るけど」
 日本語覚えたてのような片言のしゃべりかたに、僕はあきれつつ、喜多がなにを気にしているのか悟った。
 源二さんが僕を名前で呼んだことが気に入らなかったのだ。苗字ではなく、名前で。
 たしか、いままで彼女が僕のことを名前で呼んだことはないはずだ。いつも桐野と苗字で呼んでいる。
 おそらく照れくさいのだろうが、それを兄に先に越されて悔しいのに違いない。


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