「絶対にあがってくんなよ! もしあがってきたらそいつにはメシ作ってやんねぇからなっ!」
 ドアの向こうで喜多が階下の家族に向かって怒鳴っている。
 昼食を終え、食後の腹ごなしというほど大げさでもないが、最初の客間よりのんびりした気持ちで、つい今まで喜多家の皆さん――長兄除く――と和やかに歓談していたのだが、喜多は我慢できなくなったらしい。
 強引に会話を打ち切ると、僕を二階にある自分の部屋へと連れて行ってしまったのだ。
 喜多がそんなことをしでかした理由として、一番大きなものであろうと推測されるのは、次兄の源二さんである。
 彼が『彼女』である自分よりも馴れ馴れしく僕に接し、さも昔からの友人ですといったふうな調子でいるのがくやしいのだろう。
 他にも細々とした理由として、正造さんがいまだに少しおかしいということと、自分の家族を僕に見られることの照れくささなどもあるだろうが、ありていに言ってしまえば、僕を独占したかったということになるのではないだろうか。
 僕としても、彼女のそんないじましい心がまんざら嫌いでもないので、自分の部屋に行こうという喜多の言葉に逆らうこともなく、素直に階段をあがった。
 彼女の部屋に足を踏み入れた瞬間は、
「ああ、意外に普通だ」
 などと愚かしい感想を抱いてしまったのだが、視線をぐるりと動かす間に、その感想は素早く電子ジャーに閉じ込められ、厳重に封をされて心の中の倉庫にしまわれた。
 確かに、喜多の部屋は特になんの変哲もないごく普通の部屋だった。あまり飾り気こそないものの、子供の頃に買ってもらったのであろうぬいぐるみがあったり、カーテンが薄いピンク色だったりする部屋は、まあ女の子らしい部屋といっていいだろう。
 しかし。
 そう、しかしである。一箇所だけ異彩を放っている部分があるのだ。
 僕はかつてその異彩の原因を見たことがある。忘れようにも忘れられない。あれは僕が死を覚悟したときに見たものなのだから。
 あの血の色を思わせる赤。しかめつらしい漢字で構成された文章。
 そう! 特攻服!!
 ジャパニーズ不良スタイルの極北。なんのためにその文字を背負っているのか! 意味はちゃんと理解しているのか! 一般人には着用の機会などまずおとずれないであろう衣装。
 ベッドの接している壁にかけられたその服のせいで部屋の印象が台無しである。
 さらに言えば、枕元に立てかけられている木刀が小粋なアクセントとして抜群の効果を発揮している。
 なんということでしょう。以前は何の変哲もなかったこの部屋が、匠の手によって素晴らしい空間へと変化を遂げたのです。
 やけくそでナレーションでも入れないとやってられない。
 耳をすますと、喜多はまだ廊下でなにやら話している。というか、罵り合っている。
「ボケジっ! 余計なことぬかしてっとぶっ殺すぞ!」
「俺は兄貴として魅力に欠ける妹のことを心配してだな」
「うっせぇっ!」
「だから、胸を修の体に押し付けろ。お前の貧乳でも効果があるかもしれん」
「ぉらあっ! 誰が――」
「ちょっ、兄ちゃん。それはまずいって」
「源三、お前は姉の、薫の一世一代のチャンスを無駄にするのか」
「チャンスって……」
「お前はバカか。二人っきりなん――」
「いい加減黙れっ! マジでぶっ殺す! そこで待ってろ!」
 言い争いは続いている……。
 仲のいい兄弟だ。一人っ子の僕には羨ましい。
 微笑ましい会話に聞き耳を立てるのをやめ、、僕はベッドに腰を下ろして彼女を待つことにした。
 特にすることもないので視線を適当にさまよわせる。
 これが男友達の部屋ならそこいらをあさってエロ本でも探すところだが、仮にも女の子の部屋となればそうもいかない。
 タンスの引き出しを開けて下着を引っ張り出しているところを見られでもしたら、どんな烙印を押されることやら。
 その日から楽しかった僕の生活はとてもつらいものになるだろう。
 いや、それぐらいならまだいい。万が一、木刀どころではなく真剣が出てこようものなら、あまつさえそれになぜか赤い絵の具が付いていたら……。
 考えたくもない。
 想像が恐ろしいことになりかけてきたので、僕は慌ててなにも考えないことにした。
 そこで、なにか雑誌でもないかと部屋を見回してみると、机の上に何冊か雑誌が置いてあるのを見つけた。
 女の子向けのファッション誌や情報誌である。
 喜多もこういうものを読むのかと思うと少し驚きだ。
 興味はないが、時間つぶしのために一冊手にとってみる。
 表紙に目をやると、なかなか興味深げな記事のタイトルではないか。その名もバストアップ必勝法。
 それだけなら僕も唇の端を吊り上げるにとどめることができたのだが、その下にあった謳い文句には思わず吹き出してしまった。
 これであなたにも胸の谷間ができる! 黒い太文字ゴシックでそう書かれたコピーを目にしてしまったら仕方がない。さらにその下には、脱Aカップ宣言という高らかな文句が控えているのだ。
 笑ってしまった僕を誰も責められまい。
 やはり喜多は胸が小さいのが気になるらしい。
 ぱらぱらと雑誌をめくっていくと、バストアップ特集の一環として豊胸体操というのが載っていた。
 なんとなくこのページが開きやすくなっているのは気のせいだろうか。
 食事のときに源三君がなにか言いかけて、喜多に黙らされていたのはこれのことに違いない。
 体操がどうとか言っていたし。
 喜多が真剣な表情でこの体操をやっているところを想像すると笑いがこみ上げてしまう。
 えっと、なになに……掌を胸の前で合わせて五秒ほど押し合いましょう。それを一日に二、三十回ほど繰り返しましょう。
 なるほど。しかし、効果はあるのか?
 喜多を見る限りあまり……。
 僕が不届きなことを考えていると、丁度ドアが開いた。
 心の中が読まれたわけでもないのに、思わずびくついてしまう。


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