朝の七時過ぎ、喜多家の台所にエプロン姿の薫がいた。金髪はきちんと三角巾に覆われている。ベスト・ヤンキー・オブ・ザ・イヤーというような外見からは、そんな細かい気遣いができるようにはとても見えない。
 菜箸を手にした彼女の前には弁当箱が全部で六個ある。おかずもご飯も詰められてあとはフタをするだけという状態だ。
 わきに目をやると、先ほどまで使っていたのであろうフライパンや包丁が置かれている。
 目の前に並んだ弁当箱のうちの一つを見て薫は、ふう、と息をついた。
 手にしていた菜箸を置き、まな板の上にあった黒いものを取る。海苔である。が、ただの海苔ではない。少し角ばっているがハート形に切り抜かれている。
 それを見下ろしている弁当箱の中のご飯のせようとするのだが、寸前でやめてしまう。
「や、やっぱ……これはさすがに無理があんだろうよ、あたし」
 のせたいのだがなにやらためらいがあるらしい。確かにあまりに露骨な愛情表現ではある。
「で、でも……せっかく作ったし。もったいねぇよな……」
 むりやり自分を納得させながらおそるおそる海苔を弁当箱に近づけていく。
 緊張からか、ごくりとのどがなった。
「ん? お、薫帰っとったのか」
「……!」
 声にならない悲鳴をあげた薫がばっと弁当箱から飛びのく。
 振り向くと父親がいた。とっさに手にしていたハート海苔を背後に隠す。その拍子に握り締められたこぶしの中では哀れにもハート海苔が粉々になっていた。
 この間、実に二秒。これがもうじき初めての愛情弁当をつくりあげようとしていた少女喜多薫、照れ隠しの姿である。
「オヤジっ!」
 そう呼ばれて男がぼりぼりと頭をかいた。がっしりした体つきに日焼けした肌、短く刈り上げられた頭髪、あごを覆うヒゲ。見事な体育会系中年男性が薫の父親である喜多正造である。職業は社会人ラグビーチームのコーチ。四十も半ばを過ぎているにもかかわらず、一部には現役復活を熱望する声があるほどの男だ。
 ほとんど似ていない二人だが、強い意志の光を宿した瞳に確かな血の繋がりを感じさせる。
 正造が台所に入ってくる。
「うむ。いつも家事を任せてすまんな。ところでお前昨日、一昨日となにをしとったんだ。お前もそろそろ夜遊びはやめてだな、いや、みなまで言うな、パパはわかっとるぞ。ちょっとそういう年頃なだけなんだ。それもまた青春なんだ。ただ、そろそろ別の青春に踏み出してみないか。たとえばそうラグビー!」
 腕を振り上げて力説する父を、薫はギッと睨んだ。
「黙れっボケっ! なにがパパだ! ゴリラみたいなくせして寝言ぬかしてんじゃねぇっ! 死ねっ! 誰がラグビーなんかやるか、第一女はラグビーできねぇだろうが!」
「いや、かまわん。わかっとる、薫は今ちょっと素直になれんだけなんだよな。なんだったらチアガールでもいいぞ。それとも新体操やるか? 今だったら紹介してやれるぞ。いいコーチが知り合いにできてな」
「こっ……この、ボケっ!」
 怒りに震えて言葉もない薫だが、父親のほうはまったく気にした様子もない。
「小さいころはいつもパパ、パパって言ってくれたのにな。いや、かまわんぞ。これも娘が成長するためには仕方のない……」
 遠い目をして語り続ける正造に、業を煮やした薫が蹴りを繰り出した。見事なヤクザキックが父親の太ももに命中するがまるで堪えた様子もない。逆に薫の足にしびれたような衝撃が伝わってくる始末である。
「おはよーっす」
「うぃーす」
「おはよー」
 三人の男が新たに台所に姿を見せた。薫の兄弟である。年かさの二人は父親によく似て、骨太な体育会系といったふうである。年少の一人は薫と似た顔立ちである。きっと母親似なのだろう。
「お、今日は薫がいるのか。まともな朝飯が食えるぞ」
 言って、手にしていた新聞を自分の椅子の背に引っ掛けたのが長男の源一、自衛官である。スポーツ刈りに日焼けした顔。父の正造によく似ている。濃い眉毛と、角ばったあごが芯の太さのようなものを感じさせる。
 彼の言葉通り、テーブルの上にはすでに薫の手による朝食が並べられていた。味噌汁、魚の干物、卵焼き。日本の朝といった献立である。
「昨日のメシは食えたもんじゃなかったからな」
 冷蔵庫から牛乳を取り出し流し込んでいる坊主頭が次男の源二。体育大学生で、次回のオリンピックにおける柔道の選手候補者のひとりである。大雑把なつくりの顔なのだが、不思議と人を惹きつけるような魅力がある。
「やっぱメシは姉ちゃんだよ」
 炊飯器の前に立って家族のご飯をよそっているのが三男の源三。一家の最年少であり、男性陣では唯一の長髪のせいか、さわやかな雰囲気の持ち主で、細身の体躯とあいまって、兄や父と違い男臭さというものがあまりない。彼もまた優秀な運動能力の持ち主で、中学生ながら将来を期待される体操選手である。
 好き勝手なことをほざきながら席についていく家族に対して、薫の怒りは頂点に達しそうになっていた。
 剣呑な目つきになり、こめかみにはうっすらと血管が浮かぶ。
 スカウターを持っている者がいれば、戦闘力の急激な上昇をキャッチして警戒音を耳にしていただろう。ただ、残念ながら喜多家にはフリーザ軍に入っているものは一人もいなかった。
 薫が声をあげようとした瞬間。
「お、姉ちゃんの弁当久しぶりだ。あれ? 姉ちゃん、弁当箱一つ多いよ」
 源三がテーブルの上の皿に隠れるようにして置かれてあった弁当箱を指差した。
 確かに喜多家は五人家族。それに対して弁当箱の数は六個。確かに一つ多い。

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