「だからどうしてそうなるんですか!」
 それぞれがきびきびと働き、活気ある職場に怒声が響く。
 郵便物を届けに来ていたメッセンジャーはびくりと身をすくませたが、ほとんどの人間はもう慣れっこになってしまっていて、そちらを見ようともしない。
 銀色のフレームの眼鏡をかけた女性が受話器をに向かって怒りを露わにしている。怒鳴るたびに、アップにして纏めてある髪が僅かに揺れた。
 声の主は黒山美春、三十ニ歳。バリバリの、という言葉が似合いすぎるほど似合うキャリアウーマンである。
 新しい分野に進出しようとしている会社からプロジェクトチームのリーダーに大抜擢を受け、同時に部長に昇進した。ちょうど六ヶ月前にこの二十名からなるチームを編成し、指揮を取っている。
 その若さと女性であるということから、一部の口さがない社員からは体で地位を手に入れた。などと言われることがあるが、ほとんどの人間からはどう考えてもそんなことはありえないという返事が返ってくるだろう。
 確かに美春の凛とした美しさは社内でも一番といって良く、入社したての頃、社内のアンケートで美人ナンバーワンに選ばれたこともあった。
 しかし、その美貌と同じぐらい性格のキツさでも有名なのである。
 前述のアンケート結果を美春に報告したところ、
「ありがとうございます。でも仕事には関係ないですね、外見より中身で評価して下さい」
 という痛烈な言葉が返ってきたのが代表的な例だ。その翌年から今まで、彼女は社内で一番の美人と、一番キツイ女のニ冠を守り続けている。
 他にも上司の指示に反抗することは数知れず。その場合、必ずより優れたプランを提出するので、彼女を叱ることもできない。
 また、新人を怒鳴りつけて教育している彼女の姿は春先の風物詩となっていた。
 そんな性格で、さらに女性にもかかわらず、コネも無く三十ニ歳という若さで部長の地位まで昇り詰めたのは、彼女の積み上げた実績が素晴らしいものだったからだ。ここ数年の会社の大きな業績にはほとんど彼女が絡んでいる。
「お話が違います」
 電話の相手が約束を反故にしたのだろう。美春の眉がみるみる吊り上がる。怒りの表情は美春の美貌のせいで、より凄絶に見える。
「わかりました。そちらがそのようなお考えなら、こちらにも考えがあります。それでは失礼します」
 あくまで冷静に電話を切ると、美春は部下の一人を呼びつけた。かわいそうに、自分に対する怒りでは無いとわかっているものの、美春のしかめられた眉が部下に緊張を強いる。
「早急にこの部分を見直しておいて。バカのせいで今までの成果がおじゃんよ」
 書類を手に簡潔に命令すると、美春は相手の返事を待たずに手元の資料に目を通し始めた。
 勤務中に、彼女が食事とトイレ以外に休憩を取っているのを部下達は見たことが無い。
「部長。ちょっといいですか?」
 誰もが機嫌の悪い上司に近づこうとせずに自分のデスクで仕事をしている中、一人の若い男が呑気な口調で美冬に話しかけた。
 美春がチラリと目を上げると、山中が立っていた。
 美春はこの男をあまり好きではなかった。
 山中は美春が選んでチームに加えた人間ではなく、社長の命令で入ってきた人間で、言われたことはそつ無くこなすが、どうにもやる気というものが感じられない男だったからだ。
「給料分の働きはします。それ以上は疲れるだけなんでしません、もっと楽しいことがありますから」
 が口癖の、のらくらした人物だった。
 美春は、自身がそうであるように、真面目で、一生懸命な人物が好きだった。それだけに、仕事はこなすだけという山中の態度が受け入れられなかった。
「例の件ですがなんとかなりました」
「わかったわ。ありがとう」
 感謝の言葉を述べているものの、美春の表情は相変わらず機嫌の悪いままだ。
「いやいや、どういたしまして仕事ですから」
 女上司のそっけない態度にもまったくこたえた様子が無い。
 それどころか、周りの人間がぎょっ、とするようなことを言い出した。
「あんまりぴりぴりしてると皺が増えますよ。もっと笑顔でいましょうよ、せっかく綺麗なんですから」
 美春のこめかみがピクリと動く。
「よけいなお世話よ」
 冷たく言い捨て美春は再び資料に目を戻した。もう山中をちらりとも見ない。クールビューティーの面目躍如である。
 山中がデスクに戻ると隣の席の仲間が小声で喋りかけてきた。
「お前、相変わらずだな。キレてる部長にあんなこと言えるのお前だけだよ」
「そうですか? 普通だと思いますけど。せっかくの美人が台無しだと思いませんか?」
 笑いながらぬけぬけと言ってのける。
「その若さでそんだけ言えたらお前出世するよ」
 呆れた顔をして同僚が仕事に戻った。

 十分程して、ようやく美春の怒りが収まった頃、美春のデスクの電話が大きな音で鳴り出した。
 書類に走らせていたペンを止め、美春が受話器を取り上げる。
「もしもし、黒山です。これは……いつもお世話になっております。どうかなされましたか?」
 どうやら上役からの電話らしい。突然、丁寧に挨拶していた美春の表情が硬いものになる。
「……は!? それはどういうことでしょうか? お待ち下さい、詳しい話を……。もしもし、もしもし!」
 珍しいことに美春が取り乱していた。音をたてて椅子から立ちあがると返事の無い受話器に向かって何度も呼びかけている。
 何度か呼びかけた末に、諦めたのか口を閉ざすと美春は呆然と受話器を握り締めて立ち尽くした。部下の視線が棒立ちの美春に集まる。
「そんな……?」
「部長、どうかされましたか?」
 美春の動向を部屋中が見守っていたが、相変わらずの呑気な口調で山中が美春に声をかける。
「……え? ああ……そうね。私はちょっと出かけてくるから、みんなは仕事を続けてちょうだい」
 口早にそう言うと、ヒールをカツカツ鳴らしながら部屋を飛び出して行ってしまった。
 美春の姿が見えなくなったとたん、職場のそこかしこで上司の急変について囁き合いが始まる。
 同僚達が様々な憶測を交換している中、ひとり山中だけはその輪に加わらずぼんやりとコーヒーをすすっていた。


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