美春が目を覚ましたとき傍に山中の姿は無かった。
 すべて自分の夢だったのかと思ったが、そうではない証拠に髪は乱れ、シャツがはだけている。さらに、情事後の独特の匂いが辺りに満ちている。なにより、お尻の穴がいまだに熱い。
 いまだにお尻の穴にじんじんと疼きを感じて、美春は慌ててそこに手をやった。山中が拭ってくれたのだろうか。綺麗なそこは粘液がこびりついていることもなかった。
 すぼまりに指が触れると、そこから軽い痺れのような快感を感じ、美春は自分の乱れぶりを思い出して頬を染めた。
 なんてはしたない姿を見せてしまったのだろうか。
 前より先に後ろの初めてを奪われ、それなのにお尻で達してしまって、変態だと思われていないだろうか。
 でも、凄く……良かった……。
 でも、いきなりあんな姿を見せて幻滅されただろうか。
 普段は偉そうにしていた部下の手であんなになってしまうなんて。明日からどんな顔をして職場に行けばいいのか。
 ぐるぐると美春の頭の中を混乱した思考が駆け巡る。
 とりあえず、美春は考えるのを止めて身支度を整えることにした。体を動かしている間はよけいなことを考えずに済む。
 脱ぎ散らかされていた下着を身に着け、ばさばさの髪をほどき、纏めなおす。
 一連の作業を終えると、山中は自分を置いて帰ってしまったのだろうかと美春は不安を感じ始めた。
 美春が寂しげなまなざしをドアに向けたそのとき、ドアを開けて恋人が入ってきた。
「山中……」
 美春は泣きそうな顔で、こちらに近づいてくる愛しい男の名前を呟いた。
 あれほど傍にいないのが不安だったのに顔を見た途端、美春は恥ずかしくて相手の顔をまともに見られなくなってしまった。
 できるなら抱きつきたい自分の気持ちを押し隠し、平静を装って声をかける。
「どこに行ってたのよ」
 驚くほど無愛想な声に自分でも驚いてしまう。
「コーヒー煎れてきたんです」
 確かに手には湯気の立ったカップを二つ持っている。
 美春は礼を言いながらカップを受け取った。ゆっくりとコーヒーを口にすると、激しい情事に疲れきった体を癒すように染み込んでいく。まだ視線を合わせることができない。
 そんな美春に山中がいぶかしげな視線を投げかける。
「どうしました部長? やっぱりさっきのやり過ぎでしたか?」
 さっきの、という言葉に敏感に反応して顔をふせる美春。
 耳まで赤い美春を見て山中の頬が緩む。あらためて、愛しの女性を手に入れたことを実感したのだ。
「まさか……五歳も年下の部下とこんな関係になるなんてね……」
 しみじみと美春はコーヒーをすすった。
「あなたと会ったときは夢にも思わなかったわ」
「え!? ちょっと待ってくださいよ。部長さっき三十二って言ってませんでした?」
「そうよ。三十二よ、それがいけないかしら」
 ピクリと美春の眉が跳ね上がる。年齢の話をされると途端に不機嫌になるようだ。
 いけないなんて一言も言ってませんよ。と、おどおどしながら山中がカップに口をつけた。
「だったら僕とは十歳違いのはずでしょう?」
 えっ。と美春の顔が強ばった。
「なんで、あなた二十七でしょ?ファイルにはそうあったわよ」
 しまった。山中は慌てて口元を抑えるがすでに遅かった。美春は、じっと自分を見詰めている。ごまかすのは無理だと悟り、山中は大きく深呼吸すると静かに口を開いた。
「あのですね、僕本当は二十二なんです」
 美春はいきなりの衝撃の告白に呆然としている。危うく手にしたカップを落としてしまうところだった。
 沈黙を守ったままの美春の姿が不安を煽ったのか、山中はどんどん饒舌になっていく。
「なんて言うか……僕この会社の社長の息子なんですよ。愛人のですけど。認知はされてないんですけど、やっぱり後ろめたいらしくて……。それで色々あって社長の隠し玉みたいな感じになっちゃって」
 山中はコーヒーをすすり喉を潤して話を続けた。
「その、美春さんのチームに入ったのも社長の命令で、怪しい動きがあるかもしれないから、いざというときはなんとかしろって言われて……」
 ちらりと美春の様子を窺って山中が言葉を続ける。
「歳をごまかしてたのは、そこからオヤジとの関係が気付かれてスキャンダルとかにならないようにってことで、だから別に部長を騙そうとしたわけじゃないんです。それに部長を好きだってのは本当です。僕の正直な気持ちです。……その……すみません」
 美春は伏し目がちなままコーヒーカップをデスクに置いた。
「すごく……ショックだわ……」
「……すいません。お詫びに僕にできることならなんでもします。だから許してくれませんか。殴ってくれてもいいです」
「そう……。だったら一つだけ言うことを聞いて」
「なんでも言ってください。できることならなんでします」
 思いつめた美春の表情を見て山中は意気込んで応えた。
「あの……山中……クン」
「は、はい」
 今まで呼び捨てしかされなかった上司に君付けされてうろたえながらも返事をした。
「その……いまさらこんなこと言うのも変かもしれないけれど、二人のときは……名前で呼んで欲しいの」
 可愛らしいお願いに山中は思わず美春を抱きしめる。
「わかりました……美春」
 愛しい男の声で自分の名前が呼ばれた幸せを噛み締めるように美春は目を閉じた。そうして、ゆっくりと目を開く。
「でも……。あなたはいいの?」
「なにがです?」
「十歳も年上のくせになにも知らない、そのくせ気だけは強い女で」
 返事のかわりに年下の男はその日一番優しいくちづけを、少女のように純粋な年上の恋人の唇に落とした。

 一週間後。
 最近、社内では人が集まると必ず話題に上ることがあった。黒山美春になにがあったのかということである。
 美春は気の強さは変わらないものの、張り詰めて刺々しかった印象が丸く柔らかくなり、人当たりが素晴らしく良くなっていた。笑顔も以前のようなお愛想ではなく、心からの笑みで相手を蕩けさせるようなものになっている。
 その結果、美春の人気は急上昇し、社内中に美春のファンが増えた。
 勇気ある社員の一人が美春に、なにかあったのか? と、尋ねたところ、
「秘密よ。……今、私すごく幸せだからかしら。ね、山中クン?」
 という意味深な答えが満面の笑みとともに返ってきたそうだ。
 そして……。
 職場では相変わらず凛々しく働く美春と、以前よりこき使われるようになった山中の姿があった。
「お話が違います! だからどうしてそうなるんですか!!」
 今日も美春の声が職場に響く。


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