「……ふぅー」
 ゆっくりと紫煙を吐き出すと、美春は目の前にいるつかみどころのない男の顔を眺める。
 おそらく、この男は自分に片付けなければならない仕事など無いことがわかっているのだろう。
 山中は机に腰掛けたままにこにこした顔をしている。
 黙ったまま自分の喫煙姿を見詰められて、美春はなんだか恥ずかしくなってきた。
「あまりじろじろと人の顔を見るのは止めてもらえないかしら」
「あ、これは失礼しました」
 まったく反省した様子もなく、山中は口先だけの反省の言葉を述べた。
「あんまり似合ってたものでつい。美人が煙草を吸うのは絵になりますね」
 続けて、歯の浮くようなセリフを並べ立てる。
「……」
「なんとか言ってくださいよ。寂しいじゃないですか」
 たわごとを無視して短くなったタバコを灰皿に押しつけると、あらためて美春は目の前の部下を見遣った。
「……山中、あなたって変よ」
「そうですか?」
「そうよ」
「はあ」
 そんなことないと思うんだけどな。山中が首を捻りながらぶつぶつ呟いている。
「ま、それはそれでいいです。僕もここに来たとき結構失礼なこと思いましたから」
「なにが?」
 会話の流れで尋ねただけだったのだが、それだけはちょっと。と妙に隠されるので美春はつい意地になってしまった。
「部長命令よ。なにを思ったのか、きちんと言いなさい」
「それはないですよ」
「命令よ、山中」
 怒らないで下さいよ。そう前置きして山中は喋りだした。
「あのですね。部長もやっぱり人間なんだなって思ったんですよ」
「私はれっきとした人間のつもりなのだけど」
 ピクリと眉を上げた美春を見て、少し後ずさりながら山中が泣き言を言う。
「怒ってますよね?」
「怒ってないから続き、話しなさい」
「絶対怒ってますよ、その顔。いや、はい。続けます。入ったとき部長が椅子でだれてるの見てそう思ったんです。部長っていつも厳しい顔してあんまり笑わないし。こう、結構キツイ物言いじゃないですか」
 こっちが部下だから当たり前なんですけど。山中は誤魔化すように笑って見せた。
 美春は少し寂しげに呟いた。
「そう……やっぱりそんな風に思われてるわよね」
 目を伏せてしまった美春を見て、焦ったのか。山中は横に置いたまま忘れていたビニール袋を持ち上げ言った。
「これ、どうですか?」
「それは?」
 顔を上げた美春が当然の疑問を口にする。
「あのですね。家に帰ってから飲もうと思って買ったビールです。飲みませんか?ちょっと温くなってるかもしれませんけど」
 山中はビニール袋をがさがさいわせて缶ビールを取り出して見せた。
「けっこうよ……いえ、やっぱり貰おうかしら」
 職場でお酒なんて。一度そう思ったが、続けていた禁煙を破ったのだ。今日はもう、なんでもありだ。そう考え直して缶を受け取る。
 自分で進めておきながら、美春の行動が予想外だったのか、山中が少し驚いた顔をしているのが見えた。その様子が美春の頬を少し緩ませる。
 プシッ。気持ちのいい音を鳴らすと、なにも言わずにそのままごくごくと一本飲み干してしまう。
「ぷはぁーっ」
 普段からは想像もできない美春の姿を目の当たりにして山中は目を丸くした。美春が空き缶をデスクに置いたのが見えると、慌てて自分の手にしていた缶を差し出す。そうしてから自分の分をあらためて袋から取り出す。
 美春とは違いゆっくりと缶に口をつけた山中が呆然と口にした。
「……凄いですね。お酒強いほうでしたっけ?」
「弱いほうよ」
 言った美春の頬はもうピンクに染まっていた。心なしか目もとろんとしている。その様子が山中には自分を誘っているように見えた。
 自分の勘違いだとわかっていても、山中は美春の色香に絡め取られそうになった。それを必死の思いでなんとか自制する。
「だったらダメじゃないですか、そんな飲み方したら」
「私にだって酔いたいときがあるのよ」
 美春がじろりと山中を睨む。
 敬愛する上司に悪酔いの兆候が出ているのに気付いた山中は、飲ますんじゃなかった。と、内心で後悔する。
「そうですか」
 何気なく言ったその言葉が美春の気に触ったらしい。いきなり缶が飛んできた。幸い中身はすでに空だったものの、見事山中の額に命中する。
「痛っ! いきなりなにするんですか」
 山中がおでこを押さえて喚く。
 その様子を見た美春は席を立つと、つかつかと被害者に歩み寄っていく。机に座ったまま自分の顔を見上げている山中のネクタイを掴み、むりやり引っ張ると互いの顔を近づけた。
 女上司の瞳の中に自分の顔が見える。年上の美女から漂ってくる淡い香りを感じてどぎまぎしてしまい、山中はなんの反応もできない。
「ずっと……ずっとそんな風に私のことをバカにして適当にやってたのね!」
 美春が薄く口紅の塗られた唇を噛み締めて、自分の部下をなじった。
「はっ?」
 間抜けな声が出た。酔っ払いが相手とはいえ、なんのことやらさっぱりわからない。
「仕事のことよっ! どうしてあんなにできるのに最初からその力を発揮しなかったのよ! どうせ……傲慢女がボス猿みたいにいい気になってるとでも思って全力を尽くさなかったんでしょう!!」
 目を潤ませながら詰め寄られて、山中は自分が誤解されていることを知った。そんなつもりはまったくなかった。なんとか誤解を解こうと口を開こうとする。
「部長……」
「うるさいっ! 私を仕事が生きがいのつまらない女とでも思っているんでしょう!?
 お堅いキツイ女だって思ってるんでしょう!? 扱いづらい女だって思ってるんでしょう!? 私だって……私だってね、もっと他の可愛らしい生き方がしたかったわよ! でもこんな生き方しかできないんだから仕方ないじゃない!」
 美春は叫びながら山中を乱暴に突き飛ばした。バランスを崩した山中は机から落ち、そのまま一歩、二歩とたたらを踏んだ。突き飛ばした勢いで美春自身も力無くヨロヨロとあとずさる。


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