美春がぐらりと山中にもたれかかってくる。
「美春さん?」
 山中が彼女を支えながら名前を呼んでも返事がない。美春は気を失ってしまったらしい。
 優しく髪を撫でてやると美春の唇がかすかに動いた。創平くん。確かに自分の名前を聞き取り、山中は目を細める
 その後、山中は美春を寝室に連れて行き、ベッドに寝かせた。
 彼女の寝顔を観ているうちにむらむら来た山中は、彼女が目覚めたあと、冷戦期間を取り戻すように二回戦、三回戦に突入した。
 
 二人で入った風呂でさらに四回戦を終えてから、美春と山中はソファに並んで座ってコーヒーを飲んでいた。
「あれ、こんなの前からありましたっけ」
 山中が向かい側のソファに座っている大きなクマのぬいぐるみを指差す。
「え? ああ、それね。この前の出張の帰りに衝動買いしちゃったのよ。昔持ってたぬいぐるみに似てたから」
 美春がさりげなく応えた。
 この大きなクマのぬいぐるみ、確かに出張帰りに衝動買いをしたものだが理由が違う。
 実際には先日の出張中、山中と由美のことでひどく思い悩み、無性に寂しくなった美春は誰もいない家に帰るのがひどく辛くなってしまった。
 一人で寝るのが耐え難いように思えた。そこでベッドの中で抱き枕変わりにしようと、思わず購入してしまったのである。実際にはいざ寝る段になって、自分の年齢を考えてばかばかしくなってしまい、さすがに使っていない。
 そんな事情などとてもではないが話せるわけがない。
 なにも知らない山中は、よろしくクマ衛門、などと適当な名前を勝手につけて呼びかけている。
「美春さんも結構可愛いとこありますね」
「どういう意味よ」
 笑いながら美春が腰を浮かせてテーブルの真ん中に置いてあった灰皿を引き寄せる。
 山中がごくりとのどを鳴らした。それもそのはずである。今の美春の格好でそんなことをされては五回戦に突入したくもなる。
 彼女はいま、ブラジャーとショーツ、それにシャツを一枚はおっているだけなのだから。髪の毛もまだ適当に結い上げられているだけで、完全に乾かされてはいない。
 一方の山中はシャツにジャージと、美春より少しはまともな格好である。とりあえず急に客が来ても客の応対はできそうだ。もっとも客が男性だった場合は今の美春に出られるほうが嬉しいだろうが。この服は以前彼が美春の家に泊まることになったときに買い込んできたもので、
 山中は眼前でむちむちと揺れるお尻に手を伸ばそうとしたが、美春にぴしゃりとはね除けられる。
「もう……だめよ」
「だめって言ったって目の前でそんな格好されたら触りたくなりますよ」
「あなたがしてくれって言ったからこんな格好でいるんでしょ」
 普段の美春はこんなだらしない格好はしない。今も下半身の頼りなさを気にして不安気だである。風呂上りに、服を着ようとすると、山中にこの格好をするように懇願され、やむなく了承したのだ。なんだかんだ言っても美春は押しに弱い。山中の、という枕詞が必要だが。
「それはそうですけど……でもですね」
「それに、いくらなんでも限度があるわ」
「限度ですか? 美春さんだって気持ちよがってたじゃないですか」
「う、うるさいわね。第一体が持たないでしょ。大体今だって明日が土曜日で良かったと思ってるんだから」
「それこそこっちのセリフですよ。ほんと、口ではなんだかんだ言っても激しいんだから」
「創平くんっ!」
 美春が頬を染めて眉を吊り上げる。
 両手を挙げると、山中は小さく降参のポーズをとった。
 そしてテーブルの上に置いてあったタバコを手に取ると一服する。
「ふぅー。それにですよ、そもそもは美春さんが悪いんですから」
「どうして私のせいになるのよ」
「そりゃそうでしょう。だって美春さんが僕を避けるから、僕だって溜まりもしますよ」
 そのことを持ち出されると美春にはどうしようもない。
「そ……それは、だからさっき謝ったじゃないの」
「ええ、たっぷりと謝罪の意は受け取りましたよ。四回も」
「創平くんっ!」
 再び美春が山中の名前を呼ぶ。
「はいはい。もう言いませんよ。そんなに怒らないで、あ、一服したら落ち着くんじゃないですか」
 山中が自分のタバコを美春に差し出した。
 細く長い指先で、丁寧に一本抜き取ると、美春が口にくわえる。なんということのない動作なのにひどく絵になっていた。
 美人は得だ、と愚にもつかないことを考えながら、山中がライターの火を差し出す。
 美春が顔をライターに寄せてくると、山中の鼻先を心地よい香りがくすぐる。シャンプーの匂いだろうか、それとも美女は体臭まで綺麗なのだろうか。
「あなたこんなキツイの吸ってるの? 体に悪いわよ」
「タバコなんてみんな体に悪いですよ」
「それはそうだけど」
「美春さん」
 山中が真剣な声で言った。
 唐突に名前を呼ばれ、美春がびっくりした顔を山中に向ける。
「……どうしたの? そんな顔して」
「一応言っとくと、僕は年のことなんか気にしてないですよ」
「急になにを言い出すのよ」
 なんとか平静を装ったものの、美春の心臓は激しく跳ねた。余裕を見せるようにわざとゆったりとソファにもたれかかってタバコを吸う。
 山中はそんな彼女の様子に微笑むと、灰皿にタバコの灰を落とす。
「美春さん変に古いところあるから気にしてるでしょ。よく言うじゃないですか、恋に年齢は関係ないって」
「……古いとはなによ」
 憮然とした表情で美春が呟いた。
 山中が苦笑する。
「とにかくですね、そんなこと気にする必要はないです。何度もいいますけど、僕は美春さんが好きなんですから」
 美春は震える指先でタバコを灰皿に押し付ける。
 ありがとう。山中の耳には美春の唇から漏れたかすかな言葉が確かに届いた。
「いまどき年の差カップルなんて珍しくもないですしね。ほら、あのなんとか言う野球選手なんか同級生のお母さんと結婚してますし」
 照れ隠しに山中が呟いたその言葉は、美春に劇的な変化をもたらした。
 ゆっくりと顔をあげた美春の表情に鬼気迫るものがある。
「……あなたは私がそんなに年を取ってるって言いたいのかしら」
「いっ、いや、ちが、違いますよ! 僕が言いたかったのはですね――」
 慌てて弁解しようとした山中を美春が押し倒した。
「美春さん?」
 美春は黙ったまま、山中と唇を重ねる。
 二人が離れると、美春は笑っている。
「私も、あなたが大好きよ創平君」
 視線を絡めあうと、二人はお互いに久しぶりに楽しい週末を過ごすことができると確信した。

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