真由は自分の服装の衝撃的な変化に気づいた様子もなく、目の前にできた水溜りを眺めている。
「この調子だともうちっとかかりそうだなぁ」
「そ、そうだな」
「祭りの準備に影響がねぇとええけんど」
「ああ」
 急に言葉数の少なくなった京一をいぶかしんだのだろう。真由が京一に向き直る。
「どした」
「お、おいこっち向くなっ。まずいからっ」
 正面を向かれると、余計に胸のぽっちが気になってしまう。京一の瞳にはシャツの皺に隠されることもなく、くっきりとそれが飛び込んできた。
「向くなっちゅうて、なに言うだ。人がせっかく心配すてんのに」
「ち、違う。だから……」
「ほんにどしたぁ」
「いや、だから」
「なんかあったら言うてみぃ。あたすの方が年上のお姉さん――」
「お前の乳首が浮いてんだよっ!」
 我慢の限界を超えて、京一が絶叫した。
 しばらくきょとんとしていた真由だが、言葉の意味に気づくと、大慌てで胸を隠す。
「なっ、なっ、なに見てるだっ!」
「見たくて見たんじゃないだろ。二十歳超えた女がノーブラでうろつくなっ!」
「そったらこと言うても、そんなにたくさんブラ持っとるわけでねぇからしょうがなかろ!」
「か、数の問題じゃねぇっ!」
「だいたい誰も普段なあんも言わん!」
「隣に若い男が居るときぐらいは気をつかえ!」
「ほっとけ!」
「ほっとけるかっ! 第一そんことしてたら形が壊れるだろうがっ! 女なら自分のスタイルに気をつかえ!」
「まっ、また気を使えって年上に言うことでねぇぞ! それにあたすの胸はそんな簡単に崩れんっ!」
「だからそういうことじゃなくて!」
「んだらなんだぁ!」
「自分に惚れかけてる男にそんなもん見せるなっつってんだよ!」
「……!」
 勢いに任せて自分の想いを言ってしまった京一は天を仰ぎ、片手で顔を押さえた。
 言われた真由はただ大きく目を見開いて固まっている。
 乱暴に頭をかくと、あきらめたように息を吐き、京一はタバコを取り出した。しけてないかな。そう呟きながら火をつける。幸いにもタバコはそう濡れてはいなかった。
「いま言ったの――」
 ささやくような声で真由が口を開いた。しかし、それは土砂降りの雨音でほとんどがかき消されてしまう。同じ言葉を真由は再度口にした。
「いま言ったの、ほんとか」
「嘘で言えるか。あんなバカみたいなこと」
「ん、んだどもまだ会っでちょっとしか経ってねぇし」
「仕方ないだろ。それにこういうことに時間は関係ないらしいし。自分でもこんな田舎もんにどうしてって思ってるよ」
「あたすだけかと思ってた……」
 ぽそりと言った真由の声はわずかに震えていた。
「……マジか」
 今度は京一が固まる番だった。しかし、京一はすぐに立ち直り、真由の肩に手をかけた。幸いというべきだろう。辺りに人影はなく、この豪雨の中人が来る心配もない。
 京一の行動に驚いた真由は身動きもせず、近づいてくる京一の顔を見つめている。
 真由がそれを避けるようにうつむく。
「嫌か」
「い……いまはだめだぁ……。ま、祭りが終わったら」
 柔らかく京一の胸に手をつき、ゆっくり体を離す真由。
「祭り?」
「それが終わっても……まだあたすのこと好きだっちゅうて言うてくれたら」
 まるでわけがわからないが京一には頷くことしかできない。
「わかった。祭りが終わったらだな」
 今度は真由が頷いた。なぜか申し訳なさそうな顔をしながら。

 それから三日後、祭りの準備がすべて整い、翌日に祭りを控えた夜である。
 ここ数日、夕食時になると、京一たちと親しくなった村人が奥山家を訪るのが慣例になっていた。祭りが近づき普段よりも陽気になった村人達はなにかと理由をつけて騒ぎたいのである。特に今晩は明日が祭り当日のせいだろう、村中の人間が集まっているのかと思うほどの人数だった。
 宴もたけなわ、地酒――村でビールはめったに手に入らないため、宴会になると違法ながらそれぞれの家で作った酒がメインになる――を飲みながら皆で騒いでいると、タツが真由になにやらささやいている。
 気になった京一がぼんやり眺めていると、真由は席を外してしまった。しかし、彼女はすぐに戻ってくる。手にはなにやら白い紙に包まれたものを持っている。形から見るに瓶のようだ。一升瓶のような形をしている。
 真由はそれを抱えたまま京一の横にやって来た。
 目ざとくそれを見つけた村人がそれをはやし立てる。それを皮切りに、部屋中に居る人間のほとんどが京一と真由を冷やかしだした。
 真由は顔を真っ赤にしながら瓶を包んでいる紙を取っていく。中から出てきたのはガラス瓶ではなく、白い素焼きの瓶だった。
「これを京一に飲んでもらうようにって」
「なにこれ」
「お祭りのお神酒」

「そんなもん俺が飲んでいいの? 大事なものなんじゃないのか。というか祭りは明日からだろ。いま飲んでいいのか」

「京一が飲まねぇと始まんねぇから……」
 歯切れの悪い調子で真由が顔を伏せる。
 妙な違和感を感じながらふと周りを見ると、いつの間にか話し声がやみ、その場にいた全員が京一に注目していた。
 雅彦と目が合うと、彼は無言で飲めと語っている。
 叔父の圧力に負けたように、京一は一息に手にしていたぐい飲みを空にする。そこへすかさず真由がお神酒をつぐ。
 妙に張り詰めた空気の中で、京一はぐい飲みのふちに口をつけた。そのままわずかに傾ける。
 うまい。
 口の隙間から侵入した酒が舌先に触れた瞬間、京一はそう感じた。それほど多くの種類の酒を飲んでいるわけではないが、尋常のうまさではないことがわかる。まるで果実のような爽やかな香りと、すっきりしたのどごし。しかし、どっしりとした重厚な味。矛盾する幾多の要素を併せ持つ極上の酒だった。
 京一は酒豪というわけではなかったが、この酒ならいくらでも飲めそうだった。
「うま――」
 い、を言い切ることは京一にはできなかった。おかわりを要求することもできない。猛烈な睡魔が彼を襲ったのである。
 まぶたを開けていられない。体のバランスも取れない。京一は目の前の真由を見つめながら床に体を横たえ、眠りに落ちた。
「――すまね」
 消えるような真由の声を京一は夢の中で聞いた。

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